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平成24年新春御挨拶
株式会社 数理設計研究所
専務取締役 太田研究室長
矢澤正人 yazawa@mail.wind.ne.jp JP1COK
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。 以下は昨年4月に東日本震災を訪れた際に書いたコメントに加筆訂正したものです。これをもって新年の挨拶に代えさせて頂くのも些か重苦しいかとは思いますが、私たちは、今まさにこういう時代を生きています。 東日本震災から50日を過ぎる頃、私たちは岩手・宮城の被災地へ調査旅行に赴きました。 訪れた大小10地点程の被災地は、テレビやインターネットで見ていた景色とは同じものでありながら別のものでした。その違いは空気感とでも表現しておけば無難なのかもしれませんが、それにも増して私が感じたことは、これはどこかで見覚えがあるぞという感覚でした。 私は防災の研究を生業としており、四川大地震、レイテ島山体崩壊、三宅島噴火、蒲原沢土石流、雲仙普賢岳など規模の大小を問わず被災地をいくつも歩いてきました。北上川左岸の地すべりや七ヶ浜の高台で見た地震に崩れた家屋のようなものは見慣れていると言っても差し支えないものであり、見覚えがあるというよりも単に知識と経験から類似例が思いつくというだけのことなのでしょう。 しかしいくつかの被災地、とりわけ津波ですべてが押し流された現場で感じた感覚は、懐かしさを伴う生々しい既視感であったことに、帰宅して数日を経てから気が付きました。 夕暮れ、遥か向こうの川まで続く大規模な土木工事現場。昭和40年代終盤の工事現場は今ほど管理が厳しくなく誰でもが立ち入ることができました。暫し誰かが暮らしたらしいバラックや錆付いた自転車や冷蔵庫の残骸が、緩やかだが巨大に起伏する黒茶けた土の上、伸び放題の雑草や水たまりの傍らにうっすらと積み上げられていたのを、いまでもよく覚えています。 当時の都会は既にかろうじて空き地があるかないかという状態であり、街ではなく観光地でもない見渡せる大地を見る機会はありません。秘密の遊び場でも探しに訪れたのであろう子供のころの私は、ひたすらに土で覆い尽くされた非日常の光景に圧倒され、得体のしれない恐怖に駆られて逃げ帰るしかありませんでした。 ふと思い立ちGoogleMapで探索すると、そこはどうやら私の生家から隅田川を1.5kmほど上流へ上った対岸にある、いまは幅1kmにも及ぶ巨大な高層アパート群になっている場所らしいことがわかりました。いくつかの近年の写真をWebで見ましたが、そこがあの日見た大地であったことを伺わせる手掛かりの一切は、まるで津波にでも遭ったかのように消え失せています。 あの黒い大地は今もまだ連なる高層アパート群の下に横たわっています。1度か2度の大きな地震か洪水か津波かの力を借りれば、あの日の夕暮れの光景を再び望むことができるのでしょう。その日が訪れるのは10年後か100年後か、もっと先のことになるかもしれません。しかし、せめて遥か未来であってほしいその日は、人の願うよりもずっと早く、しかも頻繁に訪れています。 私たちは大地の上に暮らしている。大地の上には山があり川が流れ、やがて海へと注いでいます。 そんなあたりまえのことを思い知らされるようなことが、あってはいけません。 視察の所感
今後の防災のために
諸先輩方におかれましては、本年もご指導ご鞭撻賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。 平成24年 元旦 矢澤正人 yazawa@mail.wind.ne.jp JP1COK |
2011年に実施した事業とその結果 |
2012年に実施する事業 |
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2011年の事業をバッサリと3段階評価をしてみたところ、11項目、○4個、▲3個、×4個。
MAD-SSとBirdGPSに関しては、各地での実験に成功し機器開発にも大きな進展が見られました。事業化までは至れていません、大地震があったにも関わらず地震計関連の進展は滞りました。地下水観測関連は機器の開発に進展がありましたが商業化に至れていません。防災ヘルスモニタリングの思想は機が熟していなかったようで、しばし中断です。
要するに、MAD-SSとBirdGPSを中心に設計を進め、広報や実験を繰り返していました。それだけです。
防災を標榜する技術者の私の使命は、私の持つ技術を以って人命や財産、あるいは自然環境を守ることです。東日本震災で私の技術は何を守れたか?それとも自然環境をいくばくかでも守れたか?
ただ広報や実験を繰り返すだけでは社会や環境の一部を担うべき私の負債は増すばかりです。役にたつためには、なによりも、より多くの人に私たちの技術や技術による機器を使ってもらう必要があります。
そこで2012年の事業計画には、個々の事業ごとに提供台数の数値目標をいれることにしました。