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三宅島の初訪問
2005/04/28-05/01
数理設計研究所 Hal.T 
Edit 2005/05/20-31
原典を明記しての引用は自由
<−GPSルート,曲線はヘリコプタ

参考URL
 数理設計研究所は2000年の三宅島噴火をめぐって「ある火山学者のひとりごと」で情報交換があり、その記録作業から本格的にインターネットをベースにした防災技術の研究に踏み込んだと言っていいでしょう。2005年5月1日から誰でも観光で入れることになったので、4月末、しょうしょう先走りながら2000年噴火以来の念願であった三宅島に始めて行ってきました。ここに、私的感想および旅行記を記載しますが、電子技術を防災にと志す防災のアマチュアである限界も承知してください。
 また、各種の手配をしていただいた三宅村議の佐久間達己さんには感謝感謝。その他の同行者には楽しく旅行させてもらったことを特に書いておきます。ここで使う写真は数理設計の研究員が撮影したものだけです。

2005/04/28

竹芝桟橋

IMG_0738.JPG 2005/04/28 22:10:21 竹芝桟橋から22:30夜中に出発して翌朝の5時過ぎに到着するカメリア丸。思ったより小さい船で少々不安。しかし、横安定はすばらしく良かった。2等座席指定は寝にくいので、マットと寝袋を用意して甲板や廊下でごろ寝した方が快適に過ごせる。甲板は風雨がきついとシブキをかぶるので防水のシュラフカバーがいいと思える。船内では天候の状態によっては寄航しないとアナウンスがあった。この船は三宅、御蔵、八丈への航程だ。


2005/04/29

三池港

MOV01710.MPG<=動画  強い西風だったので、西側に開いた阿古ではなく南東にある三池に到着。埠頭には取材記者がウロウロ。ダイビング客、釣り客などの種別は荷物を見てわかる。民宿やダイバーズショップから来た出迎えの人たちは看板を持ってたむろしている。しかし、国際空港出口のように絞られた出口では無いので混雑はひどくない。船員さんが押さえているブラブラゆれるタラップを降りると、だだっぴろい埠頭だ。
 我々は全員で9名、数理設計が4人、それぞれ見たいものが異なるご一行様。久しぶりに見る佐久間達巳さんを捜し当てて周りに集まった。半年ぶりの再開だ。自動車で神着にある「プチホテルやすらぎ」に送り届けられた。

ガスマスク

DSC01714.JPG 紙袋に入れて持参した9個のガスマスクを全員に配布して使い方の講習。ガスを吸い取る吸収缶というサーモンのカンズメぐらいのものを口先に押し込んでカバーを閉める。顔にぴったりする位置を捜して頭の後ろ上下からバンドで引っ張るのだ。
 ホテルの部屋は4人部屋、ユースホステルのような2階ベッド。結構こぎれいで感じは良い。 練習中の動画
DSC01726.JPG 外に出るとコンクリート電柱の山側が茶色くなっていることを発見。おおすごいなあ。コンクリート電柱はセメント+砂利+鉄筋。セメントはアルカリ性を保っている結晶だ。2酸化硫黄が水分を含むと硫酸になる。つまり強酸なわけでセメント結晶はどんどん崩れてやせ細る。表面の茶色はよくわからん、内部鉄筋から出た錆かしら、身の錆だ。表面に砂や砂利が顔を出してブツブツがある。

避難施設

DSC01733.JPG 朝早くついたので部屋で一息。2台のワゴン車に分乗して島巡り観察に出発。最初に伊豆避難施設に向かった。避難施設では管理人に内部を見せてもらった。
 窓ガラスにはすべて開放すると管理人室でわかるようにセンサがついている。せっかく空気を綺麗にするシステムがあるのに隙間があると台無しってことだ。思ったより天井が低いので良く見てみると天井板の上、内部には空気ダクトが入っているらしい。SO2を取り除いた外気を配給するのだろう。施設の脇には作りかけのヘリポートがあった。

以前の阿古

DSC01752.JPG 昭和58年、1983年の噴火による溶岩で埋まった昔の阿古。佐久間さんは以前ここに住んでいた。子供の頃、自分の家が溶岩に飲み込まれるのを見ながら電信柱にしがみついて泣いたと話す。これを聞いて、妙にしんみり実感がわく。そういえばTVでボロボロと転がり落ちる岩の間から赤熱する溶岩(と言ってもドロドロというわけではない)を見たような記憶がある。この、溶岩原の下には高熱でも溶けない物、たとえば高価な瀬戸物などが埋まっている。掘り出せないものかなどと話題。
DSC01758.JPGDSC01760.JPG 阿古の溶岩原の海側に当時の学校が残っている。学校が溶岩をせき止めたかのようだ、幾分かはそのようになったのだろう。学校と海の間に道路があり、海を見ながらお弁当。風がきつく岩場にぶち上げる豪快な波に見とれる。暖かく非常に心地よい。海がめちゃくちゃ綺麗だ。
MOV01761 MOV01764

新澪池跡の西にある1983年噴火の溶岩原

MOV01773.MPGDSC01775.JPG<=動画 1983年の割れ目噴火で南西側に流れた溶岩原。幅300m、奥行きは山の上まで2kmぐらい?。
 畑の畝のように見える。岩を手に取ると軽石のような感じでガラスっぽく、カンカンと音がする。この畝の中を溶けた溶岩が流れ、それが噴出して固化した。

新澪池跡

MOV01777.MPG<=動画 1763年噴火の火口(マール)。昭和58年(1983)の噴火の時に水蒸気爆発でたまっていた水と土砂を吹き飛ばしてこの形になった。写真では収まらないほど大きいので動画によって火口壁を見渡している。

長太郎池

MOV01786.MPG<=動画 溶岩でかこまれた海水の池。沖波がさえぎられて静かだ。4月末なのに女の子達が元気に泳いでいた。聞くところによるとこの付近では2000年噴火による沈降で50cmから1m水深が深くなったと言う。

三宅高校

DSC01788.JPG三宅高校の校庭から、ちばさん撮影の火砕流
ちばさんの三宅島2000年噴火URL
掲示板の記録
 ここからちばさんが撮影した写真速報によりいっきょに自主避難が進展した。私にとってもインターネット掲示板による実時間の情報交換が防災にはたす役割を認識したエポックなのでぜひここに行って、見ておきたかった。

ひょうたん山

DSC01797.JPG ものすごい強風の中、たたずまいが美しいひょうたん山、島の北東部にあり1940年の噴火によってできたと言う。
 さらっと見回って、宿舎に戻ってすばらしい魚料理で大宴会。魚の名などは良くわからないが、やはり島でこその料理だ。宿の人たちは5月から始まる観光再開に向けて準備が忙しいだろうに、やさしく相手をしていただいた、ありがとう。

泥流で埋まった鳥居
img_0805.jpg 2000年噴火の時にさんざん報道された泥流で埋まってしまった鳥居。これは見たかった。ひょうたん山から北に700mほど、人家から離れた所にあるとは思いもしなかった。三宅島の噴火災害を軽んじるわけではないが報道と言うものは事実を切り取って提示して、全体像を見せにくい物だって事を実感した。やはり現場で見るってのは大事だ。
火山ガスMOV01795.MPGMOV01794.MPG
<=動画2つ  鳥居のそばで観察中にかなり濃度の高い火山ガスが流れてきたのでガスマスクを装着する。たいしたことは無いとマスクしなかった者は、後で喉を痛めていた。低濃度でもあとを引くのがアレルギーの常識。

2005/04/30

村営牧場の跡

DSC01813.JPG 村営牧場を眺め渡せる見晴台まで行った。
地質調査所の2000年噴火によれば当時は緑豊かなところだったらしいが今は砂漠状態だ。その後村営牧場近辺で火山堆積物の観察。
 ここから上は危険だとか立ち入り禁止だとか書いてある看板が山ほどある。しかし、危険だからとて海岸に入らせない海水浴場、山に登らせない自然公園も無い。危険と美しさ=観光=人間の興味はついて回るものだ。と言うわけでずうずうしく行ってみたのだ。

トイレ
DSC01820.JPG

トイレ屋根にあいた火山弾
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トイレ周囲の泥流
DSC01823.JPG

牛舎
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牛舎前の牛化石
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牛舎内部
DSC01844.JPG

農具用のコンクリ小屋
DSC01862.JPG 屋根に落ちてきた岩がスラブ屋根を破壊している。そりゃあ牛さんもたまげたろうなあ。たまげたどころではなく死んで化石になってしまったが・・・。そういえばこういうのも化石と言うのだ。たった5年前でも。

牛舎内部 動画
MOV01843.MPG

火山灰層序学の実際
火山灰を掘る 動画
MOV01865.MPG
堆積物の検討 動画
MOV01871.MPG
堆積物の検討 動画
MOV01872.MPG

切りとおし
DSC01878.JPG 牧場から少し離れたところにある切り通し。堆積している層を各地で追跡したり、成分を分析することで三宅島以外の火山を含んだ噴火年代を研究する。周辺の島の噴火も三宅でわかる。

三本岳

DSC01902.JPGDSC01893.JPG 鯖ヶ浜から漁船に頼んで8km沖にある三本岳に行くことになった。行きはよいよい帰りは怖い、言葉どおりだった。
 漁船の先頭にある突き出し部に乗って出発。行きは追い風で、少々しぶきがかかるが、それなりに心地よい。三本岳を巡り一番大きい島というか岩の巨大岸壁に入っている割れ目などを観察。
 帰りは向かい風、漁船の先頭は大揺れ。船からほうりだされないようにしがみついて生きた心地もしなかった。途中で速度を落としてもらい船尾に回って一息ついた。港に戻るまでの記憶が欠落、あまりに怖かった。
三本岳のひとつ 動画
MOV01911.MPG
大荒れの海  動画
MOV01925.MPG
生還してホッとする 動画
MOV01929.MPG

伊豆岬
DSC01938.JPGMOV01940.MPG 伊豆岬、TV取材陣がいたので観光客のフリをして取材協力。   取材協力 動画=>

2005/05/01

ヘリコプタ

MOV01944.MPG<=動画  ヘリコプタに乗って山腹を見てから現地に入ろうと思い、朝一番乗りをした。避難所そばにあるヘリポートに到着すると東邦航空の人たちが開店準備中。さっそくエントリーした。我々は4名、1人分の余裕があったので朝日新聞の写真記者と同乗。彼が前に乗せて欲しいと頼んできたので、パイロットの隣に彼が座ることを承諾した。以下、パイロットの左に座っているのが朝日新聞の記者。ヘリコプタの速度はおよそ150km/h。山から吐き出される青白い噴煙の下を飛行するので高度は低い。
運行点検 動画
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エンジンスタート 動画
MOV01947.MPG
離陸 動画
MOV01948.MPG
神付 動画
MOV01957.MPG
雄山中腹 動画
MOV01959.MPG
着陸 動画
MOV01977.MPG

くさやの清漁

DSC01979.JPGDSC01980.JPG 昨日の晩に出たクサヤがおいしかったので、くさやの清漁さんに寄って購入。思ったよりくさくない。新鮮なホヤでも一口であきらめてしまう私が食べられる。私は食わず嫌いではなく取りあえずは食してみることにしているのだ。人生何事も経験してから嫌いなことはやらなければいいって主義。

火の山峠

 島の北東部から山に向かって登ると火の山峠がある。途中から白骨林が目立ち始めるが足尾などと違って岩盤がむき出しと言うわけでもない。同行した火山学者の意見では、「島は火山堆積物でできているので植生の頑強性はよく、このまま回復する可能性も高い」と言う。しかし私は、下草のみで地表を保護するのは難しいだろうと感じた。いずれにしろ火山ガス、白骨林、下草、雨による侵食、ガリの成長のせめぎあいになるだろう。
 我々は防災のための観測、通信、分析などを電子技術の面から志している。防災のために「見て、伝え、考える」技術というわけだ。これらについては現場を見て感じることがもっとも大事だと思うし、こういう悪環境で安定に動作する装置は非常に難しいことを実感している。
鉢巻道路から見るガリ
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鉢巻道路
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乗ってきたワゴン車
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延々と続く 白骨林
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ガリ 動画
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ひょうたん山

DSC02020.JPGDSC02040.JPG ひょうたん山のそばに行き散策。小さな火口で「火山模型」のような存在感だけれど本物だ。阿蘇の砂千里によく似た雰囲気で周囲に噴出した小さな礫が散在しており海のそばなので、阿蘇よりも開放感がある。

サタドー岬から三池浜方面

DSC02043.JPG サタドーってのは地獄のことだと看板にある。地獄の沙汰も金次第の沙汰でサタドーって言うのではないのだ。この立派な岩場の連なりの向こうに三池浜があり、我々が到着した桟橋がある。
 灯台があり、この写真は昔の灯台か航路標識が立っていたらしい4坪ぐらいのコンクリート台座から撮影した。この台座には親指ぐらいの鉄製アンカー(ボルト)が埋め込まれていたのだけれど、海と火山ガスの腐食で蹴飛ばしたら折れてしまった。あら、ごめんなさいね。

坪田漁港

DSC02051.JPGDSC02050.JPG 坪田漁港にある電柱。足元のところに配電BOXがある。2000年以前にはこのBOXが大人の目の高さ辺りにあったと思われる。地盤の沈降で漁港を改修して1mほど盛り上げたので足元になってしまった。
 左側の写真では新しく盛り上げられた部分が1mほど白くなって見えている。


坪田の進八屋

DSC02053.JPG 坪田の進八屋に寄る。ある者は缶コーヒー、ひとりは焼酎を買い込んだ。親父さんの調合によると言う。開店準備中だった。
 この後でアカコッコ館にも寄ったが閉館中であった。アカコッコ館周囲の林はジャングルのように生い茂り火山ガスの影響は少なく見える。確かに鳥の声がひっきりなしに聞こえ、自然観察の好適地のようだ。いつか復旧するなら来てみたい。トイレを借りて退散。

阿古の浜楽

DSC02059.JPG 阿古で昼食。帰り便に間に合うように別行動組と合流した。揚げたてカツカレーがおいしかったぞ。食事が終わるとこの短い滞在もおしまいだ。
 阿古のフェリー乗り場前の十字路は乗船客でごった返している。いろいろと将来計画を話しあっているとガス警報の放送があった。すべての人がガスマスクを持っているわけではない、およそ30%が持っているだけだ。火山ガスは観光に支障があるといった感じも無いが喘息もちはやめたほうが無難かもしれない。東京から簡単に行け、自然の一部である現象が現に目の前にある観光地もそれほど多くは無い。金曜日の夜に出ると土曜の朝に到着し、昼過ぎに帰り便に乗ると夜に帰り着く。ボランティアなど大仰なものでなくて、単に観光客として歓迎してくれるところなので、お勧めである。
帰船待ち、ガス警報 動画
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帰りの船に乗り込む
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さいなら、またくるぞ
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 とまあ、最初の三宅島体験は終わった。防災研究のための計画をするにあたっても現地を知らなけりゃおもしろい研究にはならない。現在の三宅島の人たちに直接役立つような研究はしていないが、将来のためにこのフィールドを使わせてもらおうと話しながら群馬に帰った。
 我々の研究はつまり観測技術の研究だ。できれば島に常駐する人の協力を得られれば双方にとって有意義になる。とりあえずは佐久間さんがいるが、彼は忙しい。自然や電子技術に興味ある島人を捜したい。これからは1年に1,2度、海洋調査(釣りや素もぐり)を含めて訪れることになるだろう。

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