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Macine Trance - English Here
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2006/03/19-26
フィリピン・南レイテ
地すべり調査のお話


株式会社 数理設計研究所 玉置晴朗
2006/03/31-2007/08/15 Ver 1.3

前書き

 以下に述べるものは地すべりのレポートではなく、ましてや調査団の公式見解でもありません。調査の一部を担った3D観測チームの安全管理者として感じた、まったく私的なコメントです。

 災害観測はもともと危険が証明済みの場所であり、どんな観測成果よりも安全の確保が大事です。過去の災害地に入った経験からしてみると行くたびに恐ろしさが増します。つまり最初のころは普通の人であり、危険が見えて実感できるにはかなりの経験が必要なのです。他の分野の方と一緒に同行すると無防備に踏み込む方もいれば、こちらが教わることも少なくありません。
 安全管理者としても現場を踏むたびに新たな経験が増えます。外国では特有の危険もあるので、これら各種の危険回避法を蓄積していきたい。経験は物語となって初めて定着するものです。そして科学は観測技術が背景になったものでもあるので、この雑文が役に立つこともあればと思い公開するものです。
 北緯10度ぐらいなので気候帯がかなり違います。経験者からは毒蛇や毒虫が多いぞなどと脅かされていました。そこで、行く事が確実になった段階であわてて現地情報の収集を開始。WEBを探索してレイテ大学の方にメイルを出してフィリピンの森に住む生物や環境について教えを請いました。こころよく返事をいただけたのはありがたかった。返事の内容は「たいしたことは無い」と言ったものでしたが、最悪を考えて準備をしました。しかし、けっきょくは教えていただいたとおりでした。
 現地の宿泊や自動車など多くの事前準備は日本工営がボランティアで作業していただき、駐在のの花谷さんにはたいへんお世話になりました、感謝の心です。

注釈: PHIVOLCS(Philippine Institute of Volcanology and Seismology ) フィリピン火山地震研究所

2006/03/19 成田出発

 高価な測定器を持っていくので税関に時間がとられることを予想して前日は成田菊水ホテルに宿泊。このホテルの横には大きな駐車場があり、成田まで群馬から測定器を積載してきた自動車はここに置いておきホテルから空港まではバスで送迎してくれる。朝7:50成田着で送迎してもらった。あんのじょう成田では税関の人間がなかなかつかまらず、INVOICEを認証していただくのに手間取った。そのあげく搭乗開始のアナウンス後にアタフタと乗りこめてセーフ。飛行機はJL741(成田発09:40マニラ着13:30)だ。

IMG_4118.JPG マニラへは昼過ぎに到着、日本時間より1時間遅い。あらかじめPHIVOLCSからフィリピン税関に機材の通関について話をしていただいていた。税関に来るとお偉いさんの手招きでゲートの片隅に呼び寄せられて無税証明書を作ってもらえた。
 マニラのDusit Hotel Nikkoで京都大学防災研究所斜面災害研究センターの佐々先生(団長)たちと合流。京大防災研では汪(ワン)さん、王(オウ)さんが知人でなつかしい。その他、新潟大、森林総研、消防研、日本工営。フィリピンのPHIVOLCSから2名が参加して、総勢19名ほどになる。
観測チーム
新井場 観測対象の選定 消防研究所
名倉 3D観測主任 数理設計
玉置 安全管理
矢澤 資金・資材管理
笹澤 荷役・撮影管理
 我々は観測担当の技術屋4名+消防研究所の1名だ。観測対象の選定は消防研究所の新井場さん、操作は名倉君。それぞれの関係性はシチュエーションによって変化する。安全面からは私(玉置)が口を開けば絶対的な権威を持ち、ただちに従うことを約束してもらっている。
 しかし、だからこそ私はめったに口を出さない。安全に関することだけだ。その他についてはそれぞれの担当者が最終決定を口にしたらそれに従う。これが危険地では必須だ。
IMG_4134.JPG ホテルのロビーで初めての顔合わせ。その後、デパートのバイキング料理店で会食。帰りに私は山靴があわず、靴屋に行き4500ペソで新たな靴を購入した。履いていた靴はほとんど新品なのだが店員に進呈。夜は Dusit Hotel Nikko / Manila に宿泊。

2006/03/20 マニラで情報収集

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 朝9時から日本大使館で現地情報の収集。大使館前は日本へのビザを求めるフィリピンの大群衆。ものものしい警備であるが、大使館職員の方は親切に対応してくれた。

Philippine Institute of Volcanology and Seismology (PHIVOLCS)を見学。
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 上階から中庭を見おろす回廊から下を見るととでっかい立体地図がある。フィリピン周辺の海底地図や海溝もあるので興味深い。
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 PHIVOLCS内、各地からの回線を地震記録装置に配る配電盤および監視室だ。フィリピンでは多数の女性がスタッフとして働いているのが目に付く。
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 OFFICE OF CIVIL DEFENSEで調査趣旨の確認会議。英語による自己紹介があったので名倉君はドギマギ。私はオブザーバとして端っこに座っていたのでセーフ。会議では日本人の英語は30%、フィリピン人の英語は5%ぐらいの理解度だ、寂しい・・・。
 NATIONAL DISASTER MANAGEMENT CENTERにて過去資料を見せてもらった。どこの国でも地図は軍事機密なのでなかなか高解像度の写真はもらえないがそれなりの情報を集められた。 監視室の右上TVには災害時の対策会議?らしいものが映し出されていた。
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動画
 マニラ市内を移動するために借りていたレンタカーの運転手は超名人芸。助手席に乗っていると恐ろしくて右足が突っ張る。早々に後部座席に退散して居眠りを続けることにした。そうでもしないと神経がもたない。
 夜はpizahutにて簡単な食事。帰り際に「女あるよ!」って声を掛けられた。よっぽどスケベに見えたのかな。前日と同じく Dusit Hotel Nikko / Manila に宿泊した。

2006/03/21 マニラからレイテへ

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動画 動画
 国内空港よりPR191(マニラ発06:00Tacloban着07:10)。朝3時起きだ、少々きつい。この観測行の間はつねに夜明け前に起きだして行動することになっていたので、慣れるしかない。

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動画 途中にあった地すべり
 朝7時タクロバンに到着、暑さを感じる。タクロバンはレイテ島の北東端、行き先はレイテ島の南端に近い。直線距離では100kmぐらいだが、道は200kmほどの距離がある。
 暑いので窓を少し開けてウトウトしていたら風邪をひいてしまい、頭が痛くなった。集中豪雨のおかげらしく数箇所で地すべりを見た。

 宿泊所には寄らず、直接に SAINT BERNALD MUNICIPAL HALL に行った。役場のようなものらしい。建物内には郵便局、保健所、消防署などが一体になっている。旗は半旗である。
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 ここにレイテ州知事がきて現地会合。昼食の会食、その後、日本とフィリピンの合同調査への期待を述べた。もちろん、レイテ州の人々の防災のために役立ちたいといった両者の一致があればこそだ。救急車はバックミラーで見て正常に見えるように書いてある。
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動画、レイテ州知事の演説
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IMG_4342.JPG←死亡者リスト
 正門のところに張り出してあったリスト。この横には別に募金者の名も張り出してあった。

2006/03/21 現場前
DSC03086.JPG 15時ごろギンサンゴンの災害現場前に到着。(Guinsaugonはギンサウゴンと書いてあることが多い。どうも私にはギンサンゴンとしか聞こえなかったので、こう書きます。)被災地の対岸には死者を弔う大きな木製の十字架が立っている。ここをキャンプと言う。毎朝、十字架の前には肉親をなくした人々が訪れてロウソクを灯していた。我々も、日本から持ってきた線香を祭壇に添えて祈る。キリスト教なので線香は無いだろうと言う者もいたが、気は心だ。

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動画
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動画
 レイテ州の知事が頼んでくれたのか?、ショベルカーのバケットに乗って川を渡った。とりあえず概観をつかんで明日からの観測行程を決めるために便乗した。

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警備する兵隊 動画
 さすがにひろい、最奥部までは4kmほどのはずだが、道らしきものがあるのは最初の500mぐらい。私は道の範囲で引き返す。帰りに雨がボツボツと降ってきてずぶぬれになったが寒くはない。被災地ではARMYがM16をかついで警備している。帰りの川渡りは4WDに乗せてもらった。あまりに揺れるのでドアにゴツゴツ頭を打ちつけた。

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被災地末端の中央部より周囲を撮影

DSC03129.JPG 被災地のギンサンゴンからSogodまで約1時間半かけてもどり、夜は GV Pensione House 、晩飯は近くのレストランでアジのから揚げと小包とマンゴ、おいしい。
 他の者が食べていたフィリピンの米は日本米とタイ米の中間ぐらいの感じで悪く無い。ペンションは上掛けがシーツのような布一枚。この布切れをどうしたものか?困った。、クーラーを入れると寒いし、入れないとしょうしょう暑い。

2006/03/22 第1観測点

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朝飯、コンビーフと卵
 ソゴドを6時に出発、被災地から川を挟んだキャンプへ7時前に到着。15時には現場作業を終えて何としても日没までには人里に帰りつく予定だ。飲料水に500ccのペットボトル(1ケース24本)を宿舎で買い込む。

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花谷さんとリーチ 観測担当の名倉
 我々は観測機20kg、その他に三脚や電池などの周辺機材が20kgある。PHIVOLCSがギンサンゴン対岸の集落から荷運びの人手を2名手配してくれた。300ペソ/日の約束であったが、連日の苦労もあるので400ペソ/日を支払った。荷運びのチーフは「リーチ」と自己紹介してくれた。感じのいい人だった。こちらは片言の英語、相手は流暢な英語・・・こちらの耳も慣れてきて何とか意志が通じる。
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写真 動画
IMGP0576.JPG MOV03144.MPG
写真 動画
 現場までは自動車で数km北に向かい、集落にある吊り橋を渡る。吊橋はところどころに穴がある渡し板があり、踏み抜かないように注意して歩く。水面からの高さは4mほどなので怖くはない。
 渡ってから集落の中を抜けて2kmほど南下すると被災地の端に行き着く。崩壊土砂が道をつぶし、山からの小川を堰き止めてできた中規模の湖を横目に見つつココナツ林の中を横切って崩壊地にたどり着いた。
 崩壊地の中では土砂と岩塊だけなのだが周辺部には押し流されたココナツの大木が3mぐらいの高さでゴタゴタと積み重なっている。よじ登ると崩壊地の端に出た。
 行く前には脅かされっぱなしだったヒルや毒蛇はチラとも見えず、拍子抜け。スパッツは長靴には劣るけれど数秒間ならくるぶしより深い水に踏み込んでも浸水しなかった。

2006/03/22 崩壊地内
MOV03157.MPG←動画
 初日は崩壊地末端の平原。以前は水田や集落があった辺りをターゲットとした。観測地は源頭部に向かって右側それほど奥ではない比高50mほどの丘の頂上に昨日から決定していた。
 崩壊地の中には幅が10mほどの川が流れており、ガイドさんがココナツの丸太を拾ってきて丸木橋にしてくれた。ここをなんとか渡った時点で、観測チームはそのまま丘を登り観測を開始。私と笹澤はヘリコプタからの観察に参加するためにキャンプに戻った。

IMGP0568.JPG 途中で雨が降り始め、まさにスコールと言った感じ。ポツポツと始まるとドシャッと大雨になる。道脇にあった小学校の門? 日本ならば校門にぞくすると思うのだが、ここはベンチつきの小屋があり雨宿りした。女の子が二人、校内から出てきて興味深そうに見る。お手玉のような不思議な遊びをしている。

MOV03166.MPG←動画
 仲良くなって吊り橋がある集落近くまで一緒にブラブラと歩いた。集落の中にもベンチつきの小屋のようなものがあり、やまない雨をやりすごした。レイテではこのような集会所?、バス停?のようなものが集落毎にある。キャンプに戻る途中で観察用のヘリコプタが飛び始めた。吊り橋のある集落では新井場さんも戻ってきたので一緒にキャンプに行く。
 セブから民間ヘリコプタをチャータして上空から観察した。
【下段に動画ファイル】
およそ30分の観測はあっという間に終わり、ビデオカメラを右手で保持していたので肩が凝ってしまった。上空から見るとココナツ林が延々と続く山肌を巨大な爪あとが削ったように見える。特に源頭部にある岩肌は滑り面がきれいに出ていてまさに爪跡と言う感じだ。

MOV03182.MPG←動画
 ヘリから降りた後、午前中は北側から入ったのだが、翌日のために崩壊地の南側に行ってみた。キャンプから南に向けて海岸近くまで戻り、そこからすさまじい山道を北に戻る。およそ1時間かかった。
 途中の橋は崩壊寸前、運転手は渡るのを躊躇して、思い切ってあとずさりしてから勢いつけて渡りきった。自動車の重量に耐えられるか心配だったのだろう。道の終点は北側と同じく崩壊土砂で作られた堰止湖になっていた。

DSC03191.JPG 行き止まりから歩いてココナツ林を横切り崩壊地に入ろうとしたとき携帯電話による緊急警報が入った。
 曰く、ゲリラの出没情報があるので現場待機せよ!。事の顛末は今もってよくわからない。しかしビビリまくったことだけは確かだし、翌日からは警察軍の警備がつくようになった。
 夜はゲリラ騒ぎのおかげでPHIVOLCSと安全対策会議。翌日からは前もって警備調査をしてもらって、その情報を得てから現地に入ることとした。そのため朝は遅めに出る、ゆっくり寝られる。
Rflight.wmv ヘリコプタ右側窓 SONY デジタルビデオカメラ(720×480) 176M Byte およそ20分
Lflight.wmv ヘリコプタ左側窓 デジタルカメラの動画(310×200) 207M Byte およそ15分

2006/03/23 第2観測点

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弔いの人々 弔いのため対岸に渡る人

 朝8時にキャンプ到着。朝になると周辺の人々が弔いに来る。中には対岸に渡る人もいるが橋はないのでジャブジャブとわたる。深いところでもひざぐらいだ。

DSC03208.JPG←防壁を築いている警備兵
 ゲリラ騒ぎがあるようなところなので、テントの右向こうに見える駐屯地?には大きな丸太を芯にした土塁が築いてある。ただし、我々の滞在期間中に銃砲の音は一切聞かなかった。

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中央に丘が観測地
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一本杉
 2日目は源頭部の詳細観測である。そのため可能な限り崩壊地の奥、一本杉と称していた地点に向かう。写真を良く見てみると杉では無いがココナツでもない・・・。名倉や他メンバは私の体力の無さを気遣ってくれ、キャンプにいてもいいと言う。しかしキャンプにいても誰もいないし第一つまらない。ゆっくり行くよと言ってつきあった。
IMG_4455.JPG←観測風景

 ここまで行くのは死に物狂い。途中で何度も休み、観測が始まってから1時間以上たってから到着。安全管理者としては間抜けな話だ。

DSC03219.JPG←道脇ではお兄さんが繊維をとる作業、夕方までやっていた

 警察軍は夜が明ける6時から周囲の集落を巡回して安全確認をしてくれる。我々はその確認を終えてから朝の8時ごろキャンプを出発することになる。本当は観測装置が毎秒2点ほどの速度なのでもっと現場にいて観測時間を取りたいのだが、なかなかそうは行かない。安全第一である。多くの崩壊地で自然の危険は予想して対処するようにしているが人間的な危険は初めてだ。

 吊り橋のある集落に到着すると警察軍が3名待機していた。彼らに挨拶して橋を渡り現場に向かう。途中までは昨日と同じ行程。途中から昨日の丘を横目に見て川筋を登る。
 日本なら渓流遡行と言うべきだろうが、ここでは崩壊地遡行とでも言うのかな。キャンプから比高にして200mほど登ると削り残されたココナツ林に入った。ここまで3時間ほどかかっており、息もたえだえだ。佐々先生もここでくたばっており同病あいあわれむ。

2006/03/23 源頭部近くの丘

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MOV03267.MPG ガイドさんがするするとココナツに登りドッスンドッスンとココナツを落とし、山刀で手際よくココナツジュースを飲ませてくれた。中身はおよそ1リットル、一気には飲めない。それでも全部飲んでしまった。水は重いので2リットルは持つようにしているが、やはり1日3リットルは欲しい。中身がなくなるとガイドさんが半分に割って果肉を削って食べられるようにしてくれた。これはコブラと言いコンニャクのようでこれからココナツ油を取るのがココナツ林の農業的な役割だ。殻は燃やしてしまうらしく林のあちこちで白煙が上がっている。
MOV03275.MPG MOV03304.MPG
動画 動画
 ココナツ林からさらに50m登るとすでに観測中であった。観測点はGPS標高300mぐらいであった。皆に遅れること1時間。
 そこからさらにもう一段高いところにあるGPS標高330mの大岩まで行ってみた。ここまで来ても源頭部まで1kmはある。源頭部から崩壊末端まで4kmもあるのだからしかたない。

MOV03340.MPG←動画
 観測が終わり吊り橋のある集落まで戻り、警察軍の3名、こちらのガイドをふくめて13名を1台の自動車に押し込んでサイドドアを開けっ放しにしてキャンプに戻る。日本なら乗車人員オーバもいいところだが、警察が同乗なので気にしない。

MVI_4471.AVI←動画
 ソゴドに帰る途中、道を通せんぼするアヒルの群れ。運転手のブルースも特にせく感じは無くゆったり待って通過した。子供達がアヒルを追っている。

2006/03/24 第3観測点

 3日目は2日目の観測点から見えない部分、おもに谷筋の情報を補うために谷を挟んで1日目とは反対側の丘に登った。毎日、雨が少ないのはいいのだが一日中野外にいることを3日も続けるとさすがに疲労困憊。観測担当の名倉君がへばってしまった。私はいつもよたよたへばっている軟弱者を自認しているのでいいのだが普段元気な奴がへばっていると心配になる。ここへは同じく北側の集落から入るので距離的にもかなり長い。

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キャンプの警備兵 M16
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似合わない矢澤君 観測機材
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荷運びの親方
リーチさん
遡行(動画)
 荷運びガイドのリーチさんもかなりくたびれているようだが、我々とは基礎体力が違う。途中でスリッパがちぎれてしまったのだが裸足でグイグイと一番乗り。常に手綱を引いていないと、先に行ってしまい道筋がたどれない。とにかく崩壊地では道も何もなく、おまけに岩も安定状態に達していないので足を乗せるとゴロッと動いたりするので歩くのに非常に神経を使う。
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遡行 目的地は一本杉
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遡行 観測
 丘の上からは谷筋を観測していちおう当初のもくろみは達成しただろうと判断。これで、現地に行ってみたけれど観測情報ゼロは避けられたようだ。なにしろ当面は自社資金による観測行なので、成果も大事だ。3日の間で初日だけは少し降られたけれど、後はおおむね薄曇か晴れ、レーザレーダによる3D観測は成功したと言えるだろう

2006/03/24 右岸寄りの丘
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めちゃくちゃ日焼け 至近から見た源頭部
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300m高から流山群 初日の反射板
 各自が500mlの水を3から4本持ち、その2本にはスポーツ飲料のパックを50%濃度にして渡した。経験からは大量に水分を補給するために100%濃度よりも飲みやすい。何も入れない水と50%濃度を飲みわけるといいようだ。全体的には別に2リットル入りのボトルも持っていったので、ひとりあたま2リットルは確保した。

 炎天だったので帰りごろは全員がヨレヨレになってしまい、名倉君に手持ちの水を全部渡して、初日の観測点に放置しておいた反射板を確認するために移動した。なにせ1kmぐらい離れて、茶色い地面では双眼鏡で見ても区別ができない。反射板はこの写真のようなもので、光が来た方向に効率よく反射する。道路表示板の高性能なものと思ってもらえばよい。これで、初日観測点との相対距離を5cm精度で決める。
IMGP0690.JPG ←私
残りの水も無く、吊り橋のある集落にたどり着いて目に入った小さなお店で氷水を2ペソで買ってにゴクゴク飲んでしまった。現地の水は飲まないと決めていたのに、もうそれどころではなかったのだ。ともあれ、この水で腹を下すようなことは無かった。

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 吊り橋の上流側では子供達が岩から飛び込んで遊んでいる。川の温度は27度で暖かい。日本で見るような清流とは少し違って少し白濁している、なぜなのかはわからない。山から流れ落ちる小川もすべて濁っていた。

 吊り橋を渡ったところの集落でココナツジュースを飲ませてくれと言ったら、ココナツを5個取ってきてくれたので運転手のブルースさんに聞いたら15ピソぐらいでいいだろうと言ったので15ペソ?を渡した。警察軍、同行者の全員13名にいきわたり喜んでもらえたようだ。

2006/03/24 観測終了
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写真 写真
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リーチを囲んで感謝 花谷さん 動画
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福岡さん 動画
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打ち上げ 動画
 キャンプに戻ると最終日のために用意してくれた宴会が始まっていた。バナナの皮を机の上に並べ、ご飯をぶちまける。その上にエビの唐揚げや皮付きの豚肉を焼いてスライスしたものが乗せてある。うまい、めちゃうまい。めったに酒を飲まない私もビールを3本あけてしまった。

 京都大学防災研究所の福岡さん、日本工営の花谷さんを筆頭にして、PHIVOLCSや地元の方の支援に感謝。
 災害地なのでづかづか踏み込むのは気が引けるのですが、この調査が将来の防災に役に立てばと思うのが全員の気持ちではないかと感じます。

IMG_4590.JPG←我々メンバーの笹澤君

DSC03516.JPG←日本工営の花谷さん

2006/03/25 マニラへ戻る

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朝のソゴド 動画 バイクに乗る私
 ソゴドからタクロバンまでの道中は土砂降りの大雨。観測の間だけ晴れてくれたようだ。タクロバンからマニラへ戻ったのは夕方。初日と同じ Dusit Hotel Nikko / Manila に宿泊した。夕刻からPHIVOLCSの担当者とお開きをかねて夕食会&成果交換会。疲れ果ててバタンキュー。

2006/03/26 日本へ戻る

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日本軍占領の記憶碑 初期の要塞入口前の私
 マニラの国際空港へは12時につけばいいので、FORT SANTIAGO(サンチアゴ要塞)を見学に行った。要塞は非常に古く、内部は拡張に拡張を重ねている。スペインによる征服、米西戦争によるアメリカ支配、その後に日本軍の占領。言ってみればフィリピンの歴史を縮図したような場所だ。同行した者は日本軍による死者の記述に閉口したようだが、事実は事実。それにしても、自然では100万年に一回ぐらいのとんでもない災害もあるが、人類史にとって大きな災害は戦争かなとも思う。
 成田まで4時間、日本時間21時ごろに書類(INVOICE)を振りかざして成田税関をすんなり通り抜け。今回は中国ほど食事の種類が異なったわけではないので特に日本食が欲しいとも思わなかったけれど、近くのサービスエリアで蕎麦を食って深夜に前橋に帰り着いた。

 帰り着いて風呂に入っていて、「こんなにいっぱいの飲用水にドップリと入っていいものか」と思う。それにしても日本工営の花谷さんにはお世話になりましたし、すべての参加者に感謝。


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