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東北地方太平洋沖地震と
現在から未来への防災技術


  研究・設計 数理設計研究所 Hal.T
2011/03/11 - 2011/07/10
分析で終えるのが普通でしょうが、我々は工学者
当然ながら、できることの考察まで入っております
Index
震災観察 2011/4/28 - 05/01
  • 20110428matsumotoReport.pdf 数理設計研究所・岩手大学・群馬大学(有志による) 東日本大震災視察報告書
    群馬大学大学院工学研究科社会環境デザイン工学専攻 松本健作
  • 201104demura.pdf 東北関東大震災現地調査報告書 
    群馬大学大学院 工学研究科 応用化学・生物化学専攻 博士前期課程2年 出村 哲朗 2011/05

趣旨

 被災者には心の底から同情とお見舞いを申し上げます。私たちは、ここ数年間、国内や世界各地の災害地に出かけましたが、今回ほど恐ろしく最悪のものが日本で起きるとは思っていませんでした。しかし、無情な言い方でしょうが、予期していなかったとは言えず、ありえることは必ず起きる実例になってしまったのは防災を志すものとして無念でもあります。地震被害の拡大は今も進行中で、これからしばらくは緊急対応が主になるでしょう。

 しかし、我々は知見と技術で今と近未来の災害に対応するべく努力する。これが当社のような微々たる資源であっても、プロとして生きる道だと考えています。すでに阪神大震災の時から言われていたことですが、通常の経済活動に対応するための通信網は災害時にはあまりにも無力です。脆弱な通信で対処できるのは被害領域が小さい災害であって、大規模で広域な災害には対応できっこないと言ってきました。いずれ起きるであろう津波災害に対応するための潮位計や通信網が津波によって破壊される、そんな間抜けなシステムが日本の防災技術だったことが実証されてしまったのは残念です。

 我々はもともと土石流災害や火山テレメトリのために電池運用できる長距離通信技術を構想していました。今はMAD-SSと名をつけています。この1年は次に起きるスマトラ地震の緊急警報用として10mWで200kmほどの通信実験をインド洋にある島からスマトラ本島に向けて現地実験していました。この通信技術にGID-SSS強震計およびGID-SS水位センサを組み合わせて、環太平洋の地震と津波災害に備えようとして低電力化と低コストをめざしたものでした。これらを組み合わせて完全防水の電池型センサとすれば、今何が起きつつあるのかスマトラ本島で50秒ほど前にわかると言うわけです。
 釜石や宮古から数十km離れた山地の頂上にある受信局まで通信できるものにもなったはずです。山頂からさらに内陸や山頂間の通信で100〜200kmの長距離通信が可能になります。設備コストは気象庁検定などと言わなければ超低コストになり、津波のための潮位計を海岸に沿う通信線で送るとか、津波で壊れる潮位計ではどうしようもないのがクリアできるでしょう。そんなこともあって、こんかいの津波災害は、「してやられてしまった!」という感覚があります。

 私たちは、防災を志す電子技術企業です。案を提示しましょう。企業がするからいつも儲け話だ。そんな事を言う人もいます。でも、それはその人の生き方と世界観が言わせるものであって私達には関係ありません。言わせておきましょう。

 私たちの技術は皆さんに使ってもらうためのものなので、商品になって買ってもらえるものにならなければ遊びでしかありません。遊びも楽しく有意義なのですが、やはり、災害に遭遇した方、未来に災害にみまわれるであろう方、新しい世界の未来には新しい技術を提供したいと思っています。それこそが我々の責務であり楽しさの極みだろうと思うのです。

 以下の参考情報は当社の研究書庫よりの抜粋、そして提案は稚拙なものですが、こういうこともできるのだという観点で書いてみました。

2011/03/12-30 数理設計、玉置

歴史

LINK

818(弘仁九年)

  • 『類聚国史』に書かれた818年の地震被害と赤城山の南斜面に残る9世紀の地変跡
    群馬大学教育学部 早川由紀夫,森田 悌,中嶋田絵美  新里村教育委員会 加部 二生
    弘仁九年七月に東国で大規模な地震が発生した.翌八月には被害をうけた諸国へ朝使を派遣して損害の程度を調査するとともに賑給(米塩の支給)を行い,さらに詔を布告して租調免除,正税による家屋修理の補助および死者のすみやかな埋葬を指示した.当時は疫病が流行しており,九月に入ると朝廷では七月の地震と疫病を天の咎懲・災妖と捉え,国分寺において金剛般若経を転読して除災を図り,未納租税の免除を令した.
    この史料は六国史のひとつである『日本後紀』巻二七に掲記されていた

863(貞観5) 越中地震

  • 地震の日本史 大地は何を語るのか 寒川旭   中央公論新社 2007/11
    (貞観五年五月二○日)。これから一ヶ月後の八六三年七月一○日(貞観五年六月一七日)、「越中、越後等国、地大震、陵谷易処、水泉涌出、壊民濾舎、圧死者衆、自此以後、毎日常震」(「日本三代実録』という地震が富山・新潟両県を襲った。新潟県中部の海岸沿いに位置する三島郡和島村(現・長岡市)の八幡林遺跡は、北陸道の要所に設けられた官衙として知られているが、和島村教育委員会の調査によって最大幅一五センチ、深さ一メートルで北東l南西方向に延びる九世紀中頃の地割れの痕跡が発見された。これは八六三年の地震で生じた可能性がある。
  • 地震列島日本の謎を探る 日本地震学会
  • 活断層 松田時彦 岩波新書1995

864(貞観6) 富士山の噴火

  • 富士山青木ヶ原における貞観溶岩流の計測 〜航空レーザ計測と赤色立体地図による詳細地形調査とボーリング調査〜新砂防 千葉 砂防学会誌288 2010/05
  • 西暦864年に富士山北西麓で起きた貞観噴火 砂防学会概要集 P346 千葉達郎2003
  • 富士山大噴火が迫っている! 小山真人
    貞観六年五月二十五日(864年7月2日)に、当時の駿河国(現在の静岡県中部と、伊豆半島を除く東部)から噴火の第1報が朝廷に届いています。その内容は「十数日前から富士山が噴火しており、流出した溶岩が本栖湖に流入した」とのことでした。それに続いて、約2カ月後の貞観六年七月十七日(864年8月躯日)、噴火の第2報が当時の甲斐国(現在の山梨県)からもたらされました。溶岩が本栖湖と「せのうみ」の2湖に流入し、民家が溶岩流の下敷きとなったこと、溶岩の別の流れは河口湖方面へと向かっていること、湖への溶岩流入前に大きな地震があったことなどが語られています。
  • 地球大異変 日経サイエンス別冊 2006/06
  • 火山工学入門 土木学会地盤工学委員会 火山工学研究小委員会 丸善  青木ヶ原溶岩流
  • 三原山大噴火の真相 守屋喜久夫

868(貞観10) 播磨地震

  • 貞観10年8月3日(貞観10年7月8日、M≧7.0) 播磨の大地震 1995年兵庫県南部地震 京都大学防災研究所 地震予知研究センター 1995年12月
  • 地震の日本史 大地は何を語るのか 寒川旭   中央公論新社 2007/11
    八六八年八月三日(貞観一○年七月八日)について、「日本三代実録」には、播磨国司の報告として、今月の八日に大きな地震があって、郡の官舎や、定額寺の堂塔が皆倒れたと書かれている。当時の播磨国に相当する地域の中央には山崎断層帯が分布している。この断層帯は、岡山県英田郡大原町(現・美作市)から兵庫県一二木市にかげて、北西l南東方向に真っすぐに延び、断層を横切る丘陵や河谷が左横ずれを示す方向に鋭く折れ曲がっている。一九七九年に、山崎断層帯を構成する安富断層でトレンチ調査が実施され、この断層の活動によって八六八年の播磨地震が発生したことがわかった。その後、兵庫県地域活断層調査委員会と岡山県地域活断層調査委員会が調査を行ない、山崎断層帯が播磨地震を引き起こしたことを裏付けたが、三○○○〜三千数百年前頃にも活動したと考えられている。
  • 地震列島日本の謎を探る 日本地震学会
  • 活断層 松田時彦 岩波新書1995

869(貞観11) 奥州の大津波

  • 陸奥国府を襲った貞観年津波 貞観11年5月26日(869年7月13日) 箕浦幸治
  • 仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波 −1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域−
    地質ニュース624号,36 ― 41頁,2006年8月 保存PDF
  • 平成21年報告 独立行政法人産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター
  • 石巻・仙台平野における869年貞観地震津波の数値シミュレーション 佐竹 他 活断層・古地震研究報告2008
  • 石巻平野における津波堆積物の分布と年代 穴倉 他  活断層・古地震研究報告2007
  • 原子力安全・保安院 議事録 平成21年6月24日 第32回 地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ
    議事録 P16
    ○岡村委員 まず、プレート間地震ですけれども、1930年代の塩屋崎沖地震を考慮されているんですが、御存じだと思いますが、ここは貞観の津波というか貞観の地震というものがあって、西暦869年でしたか、少なくとも津波に関しては、塩屋崎沖地震とは全く比べ物にならない非常にでかいものが来ているということはもうわかっていて、その調査結果も出ていると思うんですが、それに全く触れられていないところはどうしてなのかということをお聴きしたいんです。

    ○東京電力(西村) 貞観の地震について、まず地震動の観点から申しますと、まず、被害がそれほど見当たらないということが1点あると思います。あと、規模としては、今回、同時活動を考慮した場合の塩屋崎沖地震でマグニチュード7.9相当ということになるわけですけれども、地震動評価上は、こういったことで検討するということで問題ないかと考えてございます。

    ○岡村委員 被害がないというのは、どういう根拠に基づいているのでしょうか。少なくともその記述が、信頼できる記述というのは日本三大実録だけだと思うんですよ。それには城が壊れたという記述があるんですよね。だから、そんなに被害が少なかったという判断をする材料はないのではないかと思うんですが。

    ○東京電力(西村) 済みません、ちょっと言葉が断定的過ぎたかもしれません。御案内のように、歴史地震ということもありますので、今後こういったことがどうであるかということについては、研究的には課題としてとらえるべきだと思っていますが、耐震設計上考慮する地震ということで、福島地点の地震動を考える際には、塩屋崎沖地震で代表できると考えたということでございます。

    ○岡村委員 どうしてそうなるのかはよくわからないんですけれども、少なくとも津波堆積物は常磐海岸にも来ているんですよね。かなり入っているというのは、もう既に産総研の調査でも、それから、今日は来ておられませんけれども、東北大の調査でもわかっている。ですから、震源域としては、仙台の方だけではなくて、南までかなり来ているということを想定する必要はあるだろう、そういう情報はあると思うんですよね。そのことについて全く触れられていないのは、どうも私は納得できないんです。
  • 三陸海岸大津波 吉村昭 文藝春秋2004
  • 哀史 三陸大津波 山下文男 岩手文庫1982
  • 津波地震 地球 1994/02
  • 地震予知の先駆者 今村明恒の生涯 P219 青磁社1989 綾里村(現三陸町)にて高所への住居移転を提唱
  • 地震 浅田敏 P49  東京大学出版会1972 『三代実録』
  • 地震・火山災害 自然災害・公害対策技術シリーズNo7 高木宗俊 公害と防災編集委員会編 白亜書房 昭和42 波江30mの記録
  • 地震の日本史 大地は何を語るのか 寒川旭 中央公論新社 2007/11
    「日本三代実録」には、八六九年七月一三日(貞観一一年五月二六日)の夜に陸奥国で大きな地震があり、倒れた人々は起きることができず、あるいは家が倒れて圧死し、地割れに埋まって死に、城郭倉庫・門櫓垣壁が無数に崩れ落ち、海水が怒濤となって多賀城の城下まで押し寄せ、溺死者が一○○○人ばかりなどと書かれている。宮城県沖で発生した大型地震と津波被害の記録だが、箕浦幸治(東北大)は、仙台市や相馬市の海岸から数キロ内陸よりの地点で津波で運ばれた堆積物を確認している。その後、産総研の澤井祐紀らの地質調査で、仙台平野において海岸から二〜三キロまで津波が遡上したことが明らかになった
  • 地震列島にしひがし 尾池和夫 京都大学理学部教授 理学博士 地球物理学専攻
  • 百年・千年・万年後の日本の自然と人頚 第四紀研究にもとづく将来予測 日本第四紀学会編 古今書院 S62

群馬県前橋にて観測した地震波形(WE)と計測震度 2011/03/11 14:47:28 以後 データ 耐震診断の実測 より

災害の評価

2011/03/11 東北地方太平洋沖地震

2011/03/11 14:46 Mw9.0 東北地方太平洋沖地震
http://www.youtube.com/playlist?p=PLFD50B4177D523453 へのリンク 再生リスト

災害視察

  • 20110428matsumotoReport.pdf 数理設計研究所・岩手大学・群馬大学(有志による) 東日本大震災視察報告書
    群馬大学大学院工学研究科社会環境デザイン工学専攻 松本健作
  • 201104demura.pdf 東北関東大震災現地調査報告書 
    群馬大学大学院 工学研究科 応用化学・生物化学専攻 博士前期課程2年 出村 哲朗 2011/05
  • http://www.jsgi-map.org/tsunami/ へのリンク 津波被害 現地調査報告 大阪市立大学大学院 原口強

避難行動

 まだ1週間しかたたず、被災者の生活も安定していない状況でこのような分析を進めるのは不謹慎とそしるのが「空気読む」人々の言い方だ。しかし、あえて言おう、起きたことを糧にせずして死んだ者は浮かばれない。(2011/03/19)

津波テンデンコは自主防災組織に適用できない? と新聞にある。

 マニュアルのようにひとつの事象にひとつの対応と言う形では書けないだろう。今回の津波でも自主防災組織の各家に近隣の救助の項目があったら、避難しない人に足止めされて被害者が大きく増えたはずだ。

 津波テンデンコは人が津波に対応する第一規則、踏切で電車が来たら避けるのと同じこと。これは生物の基本=自己保身であり、他からの助けを期待しない最初の自発行動としてある。さて、次が問題だ、救助を依頼されたら、人としての判断なので、その人に任せる。行為の発動力は、相手との関係によってきまり、相手が子供や近親や友人であれば強力になるし、一般化はできない。
 自主防災組織の規則として一般的にその人の判断を強制することはできない。なぜならば自己保身と相反する場合があり、葛藤が生じるのはどうしようもない。

 じかし自主防災組織として寝たきり老人が近隣にいればどうすればいいのか? 難しい問題だ。自主防災組織ではなくて、プロの防災組織なら手法はつぎのようなものになる。まず救援依頼を受けたら必ず数人で行動し、一人は安全監視をさせる。津波の場合は連絡の確保と見通せる所に位置する。他のものは安全監視員の命令に即時に従う。それから救助にかかる。救助中でも避難を命令したら、放り出して遁走することを訓練しておけばできることだ。

 自主防災組織にはこれができないのか? できないことは無いと思うのだが、実際はほうり出して遁走する訓練までしておかなくては身にしみついたものとはならない。安全監視者が命令してもグズグズ執着しているようだと全員死亡し、その家族にも被害を及ぼす、「ごめん、バアチャン」と言いながら放置して逃げる。訓練しておけば可能だ、あらかじめ訓練によって、そのひととしての救援行為を解除するトリガを作っておけばよい。指揮者には禍根が残るだろうが、同時に自主防災組織=仲間の命を救った事で代償されるだろう。まともな軍隊と防災組織はそうして生き延びる。
ーーーーーーーーーーーーーー
避難行動について。
 いくつかのレポートを見るに、最初の避難地に到達した子供たちが、遠景を見て自分の判断でさらに高い所をめざし、多くは追随して助かった。消防団がお願いしてもだれも避難しようとしなかったのに、消防団が命令口調および自分が逃走することを見て幾人かは追随したというのがある。考えてみれば今まで避難行為には厳禁とされていた、整然とした避難を崩した結果として多くの人々が助かった場面があったようだ。整然と歩いて避難する大人や小学生たちは津波に飲み込まれたこともあれば、助かったものもいる、現象的には指揮者の無統率状態=パニックに近い避難行動もあった。

 映画館や街路のように閉塞された場で混乱の避難行動が起きるとすべてがうまくいかなくなるが、一定の方向が決まった後ではパニック心理を促進する要因、つまり遠くに見える土煙を認識して、どなり散らしながらすっ飛んで逃げる消防団の存在や個々のある意味では異常な行動が避難を促進したように見える。パニックと言えば抑制すべきものの代表と思われてきたが、たとえば「津波はここまで来ないのではないか」とか、「ここは安全と言われている」という背景知を押しつぶす効果があったと言えるのじゃなかろうか。

 たいていの災害は、ほぼ100%の人が体験したことのない初めての災害である。そのとき、整然とした避難行動で良い場合と、自己保存むき出し限界に近い避難行動ではありつつ、上級生は下級生にどのように指示したのか、行動だけなのか命令としてなのかの聞き取り調査が望まれる。
URL 釜石東中学校と鵜住居小学校
大人の発言や記録は、彼らの想定や希望、そして自己の正当化に影響されているので慎重に受け取らなければいけない。
  • VIDEO インタビュー
  • http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1104/13/news069.html へのリンク この記事にある率先して行動すべきと教育したとする原典証拠は見つからない。
    • http://www.ce.gunma-u.ac.jp/bousai/research02_3.html へのリンク これかな
    • ここでは釜石東中学校の対応を中心として、鵜住居小学校の対応も合わせて、津波襲来時の様子を紹介していきます。
       (生徒や先生方からの話を聞いて、一部修正しました:平成23年4月13日)
       -------------------
       平成23年3月11日14:46 大きな揺れが両校を襲った。地震発生時、釜石東中学校ではすでに授業終了時刻であったため、校庭で部活動を行う生徒、校内で課外活動を行う生徒など、学内の様々な場所に点在していた。一方、鵜住居小学校では放下直前であり、多くの児童は校舎内に滞在していた。
       釜石東中学校では、大きな揺れの最中、副校長が校内放送を使って全校生徒に避難の指示を出すことを試みた。しかし、地震発生直後、停電になってしまったため、それをすることができない。仕方なく、ハンドマイクで生徒に校庭への避難の呼びかけを試みるようとしたが、それは不要であった。多くの生徒は地震の揺れの大きさから“ただ事”ではないことを察知し、各々で揺れから身を守るための最善の対応を行い、揺れがおさまった後に、自らの判断で校庭に集合し始めたのである。そして、ある教師が生徒に向かって、「逃げろ」と叫ぶと、運動部員を先頭に全生徒は予め決めておいた避難場所(ございしょの里)まで走り始めた。
       一方の鵜住居小学校では、津波の襲来に備えて、全校児童を校舎の3階に移動させていた。しかし、中学生が避難していく様子を見て、すぐに校外への避難を決断する。釜石東中学校の生徒たちは、鵜住居小学校の児童にとって率先避難者となったのである。児童たちは中学生のあとを追って、ございしょの里まで走り始めた。
       ございしょの里まで走りきった小中学生はその場で点呼を取り、避難は無事に完了したかに見えた。しかし、ございしょの里の職員や生徒数名が、建物の裏山の崖が崩れていることを発見する。「ここも危険だから、もっと高いところに避難しよう」と生徒は先生に進言する。釜石東中学校の教師は、すぐにさらに高台にある介護福祉施設への避難が可能であるかどうかの確認に走る。避難可能の確認がとれ、小中学生はさらに高台までもう一度走り出す。
       このとき、すでに地震発生からかなりの時間が経過していた。一刻の猶予もない。中学生は訓練したとおりに、小学生の手を引き、避難を支援する。避難の道中、園児を抱えながら、たくさんの園児を乗せた散歩用の台車を押し、必死に避難する鵜住居保育園の保育士を生徒たちは確認する。ここでも生徒たちは教えられた通り、『助ける人』としての役割を果たすこととなる。保育士と一緒に園児を抱え、台車を押し、必死に避難する。
       先頭を行く中学生が介護福祉施設に到着し、点呼を取り始めたとき、消防団員や周辺にいた地域住民の「津波が堤防を越えた!」という叫び声が聞こえた。「逃げろ!」襲い来る津波の恐怖に、子どもたちは福祉施設よりもさらに高台にある国道45号線沿いの石材店まで駆け上がる。中には敷地内の裏山まで駆け上がる生徒もいたほどだ。避難の列の最後尾の児童は、介護福祉施設にたどり着くまえに津波に追いつかれてしまう。とっさの判断で山を駆け上がり、間一髪のところで無事にみんなのところに合流することができた。
       石材店にまで避難してきた子どもたちは、彼らの学舎が、そして見慣れた街並みが轟音とともに津波にのまれ、押し流されていく残酷な光景を目撃することとなる。しばらくののち、避難している場所が屋外であったため、屋内で滞在可能な場所への避難を開始する。先日開通したばかりの釜石山田道路(縦貫道)を通って、旧釜石第一中学校体育館まで移動し、そこで一晩を過ごした。翌日、鵜住居小学校の児童は甲子小学校へ、釜石東小学校の生徒は甲子中学校へと移送してもらい、避難生活を送ることとなった。こうして、津波襲来時に学校管理下にあった鵜住居小学校、釜石東中学校の児童・生徒約570人は無事に津波から生き残ったのである。
  • http://www.city.kamaishi.iwate.jp/events/index.cfm/detail.1.13554.html へのリンク 2010年5月23日日曜日 チリ地震津波50年・釜石市津波避難訓練
  • http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031619470087-n1.htm へのリンク 片田教授によると、市内の児童・生徒は地震発生時、下校の直前で教室にいた。児童・生徒らは警報と同時に、避難を開始し、各学校はあらかじめ決めていた徒歩5〜10分の近くの高台にそれぞれ避難した。ところが高台から市内に押し寄せる津波の勢いをみて、さらに後背地の高台に移動した。この間、中学生が不安がる小学生を誘導し、迅速に避難したという。
  • http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/502297/
この小学校は 通常の訓練では屋上に避難するのだが、隣接する中学校生との逃走を見て小学生が追随した。さらに、避難地で小規模のがけ崩れがあり、危機感をあおり、先導者に追随する状態になった、一種の良い方に転んだパニックと言える。

地震予測

 地震予測には長期と短期の2種がある。もちろん、「いつ、どこで、どれほど」、が求められる。おおむね長期予測は正しいと言えるだろう。簡単に言えば日本はどこにでも直下大地震の可能性があり、海溝沿いでは確実に大地震が起きる。これで不十分だろうか?、そこが問題でもある。

 地震の短期予測は現状ではほとんど不可能だ。今回の地震でも後になって前震と言えるものはあるが、実際には予知は無理だった。ましてやM9に達するだろうと予測した者は、(いたのかもしれないが)聞かない。

 長期予測については、海に隣接する地の地層や地割れの化石から1000年オーダでは非常に大規模であることはわかっていても、実際はここ数百年の書かれた歴史を探索して規模を推測できるるのみであった。実際、長期予測の研究では実際の大きさがどれぐらいであったかに関心があり、防災情報として利用するための安全係数などには考慮すらされていなかったようだ。人間活動と自然のかかわり方の考察に生かし切れていなかったようです。

時系列

岩手日報 釜石、最初の津波が到達した直後は携帯電話で盛岡の本社に連絡できたが、その後は全ての通信手段が使えなくなった。支局は大丈夫だろうか。被害状況が分からず、連絡も取れず次第に不安が募った。
  • 3:20 釜石、防潮堤を越える 岩手日報
  • 3:25 宮古、防潮堤を越える 岩手日報
  • 3:26 気仙沼、防潮堤を越える 岩手日報
  • 3:30 久慈 岩手日報
  • 3:31 大船渡 岩手日報
  • 3:36 洋野町、田野畑村 岩手日報

津波予想

 奥州の書かれた歴史、海岸そばの湖沼堆積層、古代地震の研究情報、打ち上げられた津波石、さらには江戸以後の大津波の記録から、推定されてきた。しかし、現実の防災情報としてはチリ津波が取り上げられ、あたかもチリ津波より大きな津波はこないものとしていた。しかし、これは可能な対策が現状の住居位置をそのままにすることを前提にしているので防潮堤しかありえず。資金と対策効果のバランスも求められるので、大きく改善することは難しかった。
 しかし、地震予測と同じく、さらに大きな津波が起きえるのではと一部に声があったにもかかわらず、逃げる教育と防潮堤の建設をすれば事足れりとしていた、実は私もそれでいいと思っていた。

防災の考え方

 人によってこの言い方は嫌われるが、「国家は防衛と防災」という言葉がある。ここでは「国家」を人の共同体と読んでほしい。つまり、ひとびとの生活は防衛と知山治水なのだが、治山治水は生産力の整備と防災の二つの側面を持っている。実は防衛も同じく海外への通商と自国民ないしは自国の権力構造を維持すると言うふたつの側面からなっている。つまり、防衛と防災は同じような構造を持っていると考えていいのだ。

 防衛では、@情報取得、A通信、B分析、C対応と情報が流れる。防災も同じく@情報取得、A通信、B分析、C対応であろう。であるならば、災害場面を想定してこれらの構造を作っておかなくては役に立つものにならない。
 軍隊が普通の電話網を使って作戦するなどありえるだろうか?。しかし防災通信の大半は専用線などと言いつつ、実は通常の公共通信網を使っている。これは阪神大震災のころから言われてきたのだが、小地域に局在した災害では目立った問題にならなかっただけだと言える。原発の災害対応と同じく、想定した小さなものに対応するだけならば、圧倒的な自然の前には無力だろう。もともと自然とは想定外なものなのだ。
memo
防災ってことの基本は、私だったらどうするってところにある。山際の漁師小屋、海辺に住む。地震が来たら生みを見る、防潮堤なんかない。遠くを見てとっとと自動車で逃げる。だって市街地に住むんじゃないから自動車が一番。

災害復興

 あと100年か、それとも1000年は同じ津波が来ないとして同じ地に復興するのだろうか? これはこの災害の評価および未来の子孫についてについてどんなコンセンサスが得られるかにかかっている。

参考:「死都日本」 石黒耀(いしぐろあきら)→海岸に住まない選択

 ただ、私は高台にしか住ませないのは、人の生活の質を維持する観点からみれば、無理があるのではないかと思っています。無理がある方策ならばいずれ守られなくなるでしょう。では、どうしよう? そこから見た私たちの結論は、いついかなるときでも観測して情報を伝送することにあると考えたのです。

メモ
避難行動ですが、よく考えてみたら、「制御されたパニック」を起こす必要があると言う事に気がついた。パニックは怖いのではなく、制御してうまく利用するのです。
霊長類ヒト700万年の進化の結果で人の役に立てば快感が得られるから。1000年オーダで歴史を見ろっていうけれど、人の特徴は1000万年、哺乳類の特徴は3億年ほどの流れで見た方がいい。社会学は動物行動学だ。

交通事故の死者が1万人のころがあった、毎年10万人当たりで10人が死ぬ。自然死が1000人だからその1%、大問題だったけれど、半分になったら、納得している。だから国外避難したかしら? なんとなくアホくさい。いや、放射線でそれぐらいの被害が起きると言うのかな。だったら大変だ。

大隕石、火山の大噴火、交通事故、病気、それに貧乏。それら全部のリスクに対して放射線が追加される。わずかなりとも避けるのが人情とは言え、さけるコストとのバランスもある。放射線のリスクを言う方はそれを提供してほしい。ただし義務は無い。提供するかどうかがあなたの資質を決めるとは思う。

昨日前橋からつくば山そばへ行った。茨城に入ると小さな川を渡る橋と道路の接続部に傾斜舗装されていることが多い。地震から1カ月後の中越でも同じように傾斜舗装が多かった。いつこの舗装がされたのが分からないので何とも言えないが、今回の地震のおかげかなと感じるが、どうかな?
津波のビデオを見て、ビーッと自動車の鳴き声が聞こえる、なにか助けを求めているような雰囲気。現場で体験した人の多くがクラクションの連続で津波を思い出すだろう。

攻撃 ローレンツ、愛と攻撃性はペアになっている。個を維持する攻撃性と、その解除の仕組みが仲間への愛行動になる。イワシなど無名の集団には攻撃性も愛も無いが、強烈な攻撃性を持ちオオカミなどは強烈な集団の愛をもつ。霊長類のヒヒや人類もだ。したがって、防衛と防災はペアなのかもと思う。「攻撃 コンラート・ローレンツ」 これに動物の攻撃行動と内部と外部の関係、友情と無名集団、社会意識と個の意識。動物行動学の名著だけれど、ちゃちな社会学の本よりよっぽど人間行動学として最高の本だ。

そう言えば「社会学」ってのは「人の動物学」なんだな。

正直言えば、私は子供は避難すべきだと感じてはいます。でもね、これは心情、愚かな科学者として言えば、科学的=論証的には納得していない。でもね、この私にすら納得させられないならば、一般の人に放射線の健康被害を「正しく恐れろ」なんてたわごとですましている事になる。

お偉い機関が設定した限界値、高いのも低いのもある。値はあれども、なぜそうなっているのかが庶民にはわからないし私にもわからない。科学的に勉強せよ!、って言うけれど、笑っちゃうよ。科学って共通理解をもたらすものなのに、知っている者≒?科学者が呪文を繰り返しているだけ。どこが科学なの?

復興特区、10前にハゲタカファンド労働資源の証券化、経営の民主化に見えたが、実は経営者と労働者の奴隷化だった。政策を骨抜きにするためには漁業者の自力復興にみんなの力。つまり資本提供を国民が直接にすればいい。そのために年利1%で漁協が資本募集するとかね。

安全指針の見直し、以前の「指針を作成する指針」の分析が必要だろう。そうでなければ、どうせまた同じことになる。

帰宅困難者のニュースを見て、地下の活用をするところが多いのに気がついた。たしかに普段は使われない地下に備蓄する気になるのはわかるが、東京などでは地下は津波で無くとも浸水する可能性が高い。地下水のくみ上げも停止し、洪水など多様な場面想定が必要だろう。

GoogleEarthで田老を見ていると、地名「野原」ってのがあり、野原になってしまっている。地名と過去の関係はよく聞くが、やはり・・・

たいていの解決は、「不可能性の言明」があってこそ解決の道をたどれる。


観測と通信システム

3/11災害と通信

数理設計が、できて、すべきこと

海岸設置型の潮位計

手持ち資材で即席試作できるか? → およそ10日で2セット
電池のみで半年間運用できること。 → 大丈夫、1年ぐらい持つだろう
誰が設置を受け入れてくれるのだろう? → これは困った以下に問題点
  • 受信側に100V-10W必要
  • 途中は無線でもすぐには受信地点での表示しか期待できない → 操作者が必要、エクセル程度が扱えればいい
  • 目視の点検なども必要 → 必要とするならそれぐらいはするだろう
  • センサ設置場所の選定が困難、現場を見てみるしかない、本体からセンサまで10m。
時間がかかり、買いたたかれ、情報占有される官公庁的な受注なら自前でやりたい
いずれにしても公的機関の情報支援や支持が無くてはできない

当社は資金力がヒジョウーに微小、資金は周囲の中小企業にお願いできるか? おそらく300〜400万ぐらいかかる
(ちなみに元になる渓流用水位観測システムの通常販売価格は1式50万ぐらい?)
 その内訳
 手持ち資材が100、試作が100、現場に行き事情聴取、2か所を選定して設置、2カ所×4日×3人=100
 メンテナンスに行かざるを得ないだろう それが100 ぐらいかなあ

仕様
GID−SS(水深10mまでの渓流用水位センサ)+MAD-SS(スペクトラム拡散を使う長距離通信機)
144.45MHz 10mW  や 150.88MHzの微弱無線局まで
確実に届く範囲
平地では0.1mWにて5kmぐらい届くことが期待できる、海から低山(50m高さ)へなら10kmぐらい。無線通信は地形や周囲環境の影響が大きくひとことで言えないのです。
遠野から釜石の尾根線にあるNHKで受信するならば、見える範囲20kmぐらいだろう。
電波伝搬呉の実験など 

通信技術


実験例

 以下は2010年から(岩手大学の青井先生、岩手県立大学の瀬川先生へ供給した)野生動物と自然環境を観測する通信実験からの引用情報です。通信部の実験情報と評価については当方の利用を許諾されていますので公開します。
MAD-SS201110304-7.jpg
2011/03/04 撮影
2010末から10mWで送信実験
クマ捕獲器のデータ通信として
遠野から釜石を見下ろす仙人峠まで15km
尾根をふたつ越える通信 JQ1YUR
5分毎の送信、電池運用実験中

kamaisi2.jpg
送信出力 1mW@145MHz 海抜2mとした
通信可能領域の計算
数値計算 釜石の例 可能エリア
釜石の港まで十分にカバーできる

kamaisi1.jpg
左端:受信局 仙人峠
右端:送信局 釜石 
(有)釜石造船所南海岸 海抜2m

距離17.71km
送信出力 1mW@145MHz にて
+12.1dB の回線余裕がある
受信限界 -125dBmとして計算 
数値計算 釜石の例 伝搬ロス





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