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「文書、計画、メイル」に共通な構造

数理設計研究所 玉置晴朗 
2002/03/14 - 2006/05/11
Index

まえおき

 共同して物事を進めるために、責任者が計画を提示するだけではうまくいかない。問題は意見交換の未熟さにあることが多い。その理由を分析して対策と手法を明解にしよう。

現実

 「計画案、文書、メイル」を提示して他者と意思の統一、行動や作業の同期を取ろうとしても失敗することが多い。誠実な者の集まりでも、計画期日が無為に過ぎる。後で詰問しても、「そう思わなかった」、「こっちの方が重要だと思った」などと返答がある。責任者は、「じゃあ、なぜ言わなかったのだ!」と怒る。直接の会話はもちろん証拠が残つと期待して文書やメイルの交換を前提にしていても似たようなことがおきる。

分析

 そのわけのひとつは、文書にある単語自体には、書いた者が想定した意味と同一の意味を相手に想起させる機能が無いからだ。多くの者は単語に確実な意味が付属していると誤解している。しかし、人は同じ辞書を持たないのだ。なぜ共通の辞書を持たないかは を読んでもらえば少しわかる。人は辞書を印刷されたり持たされて生まれてくるわけではないのだよ。トラブルの原因は、文章に意味を規定する力が無かったからなのだ。そこで問題は人間の意思同期を可能にさせるために、「意味の共有性を持たせる作文法」とは何かとなる。

世界を規定する文

 別のところでも述べたが、人は「世界観」=(手持ちの枠組み+勝手な論理)で文章を理解し、決して共通の辞書を持つわけではない。したがって人の行動を規定し同期させるには(必要な範囲で)世界観を規定する文章でなければ文書は規定力を持たない。
 つまり、計画や文書、メイルを組みたてるにいたった背景から説き起こされ、論理的関係を明記された指針や結論が文書に含まれていることが重要なのである。この論理関係があることによって、結論や計画は、常にその論理をいきつもどりつ修正することができるようになる。 修正を可能にするのは、論理構造を明快に提示してあるからなのだ。
 昨日、私は天才的な発想で結論を書いた。しかし今日読んでみるとさっぱりわからない。結論だけの記述ではこんな感じになる。

さて、この戦略に添った文書の書き方

 「これは良くできているけれど、どこか不十分」、そんな文書が多い。
 計画も文書も良くできている。ただし、それが経験から唐突に引き出したものであって論理性を提示していないなら、少し前提条件や場面が違ってきたらどうなる?。唐突に計画を変えるのか、そのままでいいのかの判断ができない。
 論証的に計画文書を記載していれば前提とその分析にもどって再考できる。前提が違うことを発見した(明日の私)=他人は筋道立てて別の解釈に至る説明ができる。多人数のプロジェクトなら共同して作業する効果がそこで初めて出てくる。

結論

 論理性のある文章とは、ある項目が何故?と問われたときに常に前段になる項目が提示できることなのだ。最終的に到達するのは人の価値観であり、文章発起の本質衝動が背骨となる。
 これが「文書、計画、メイルの組み立て」に共通する作業だと言いたかったのだ。わかってくれた?

本文の論理モデル

○計画 → 多人数の作業 → 多人数の行動の一致 → 現状把握(世界観))の共通化
×計画 → 目的、現状把握の文書+明確化 → 手持ち資源の分析 →解決案への演繹

○計画の不全 → 現状を分析のため前にたぐる → 違いから計画を再構成することができる
×計画の不全 → 現状を分析のため前にたぐる → 唐突な計画からはたぐれない → 再構成不可

○メイル → 論議内容の背景 → 語句の意味を規定 → 行き違いが無くなる
×メイル → 論議内容の背景欠如 → 語句の意味不一致 → 行き違い

まあこんな感じですよ。


end