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研究業と何か
(C)数理設計研究所 玉置晴朗
2008/02/17

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情景1:
 ときおり当社にも応募がある。「給料は安くて良いから雇ってくれ」と言う。動機を聞くと、「勉強をしたい」。
 私は答える、ならば学校に行きなさい。 さらに相手は言う、「それでは生活がたたない、できれば興味のある仕事を分けてもらって・・・・」。
 私は、「あなたを雇い、あなたの仕事を手配して監督するような暇人は当方にはおりません」、と断る。応募者は、「ではどうすれば研究員になれるのかと聞く」。
 私は言う、「自力で研究仕事を探し収益を得るようにするなら研究業だ。最初は無理だろうから、みんなと一緒に研究すればいいだろう。ただし、幾らの給料になるのか額の補償はできない。当社には雇用してみようという者がいないので雇用形態はありえ無い。誰であれ、たとえ私でも、事業会計計算法に書いてある通りに処遇する」。応募者は言う、「そんなに働きたくないので、なんとか」。
 私は、「研究業も他の仕事と同じで中途半端は無い、あきらめてください」と言っておしまいになる。

情景2:
 研究員に問題解決を委託したら、いつまでたっても返事が無い。返事が無いことを詰問すると、作業中という。
 【あんたね、自分だけで事業をやってるんじゃないよ、私は依頼主の信頼を維持し続けなくちゃいけないんだ。
 未知の作業をやっているから失敗はある、それはしかたがない。でもね研究を事業としてやっているんだから、信頼の維持が大前提。研究事業は失敗を含めてしっかりしたレポートを出すことに基本があるんだよ、レポートってのは物事を解決した!ってことだけじゃないんだ。顛末、不可解な未解決問題、それらを表現した文書が成果になるって事だよ。
 途中経過報告は途上の分析だよ。それを抜きにしてなにが研究業ってんだよ、途中経過報告がめんどくさいってことならば、問題点を鮮明にする努力をしていないって事じゃないか、それで研究なんてことができるのかよ】、と苦言をたれる。
 まあ、そんなこんながあって、このメモを書き始めた。思うに、生活を立てるための研究は事業に違いない。多くのものは研究業を開発業と混同しているが、情景1や2は別の意味で雇われ研究者=大学などの先生と混同しているように見える。
 あるとき、キャッシュフローの推量もしないで、どんな研究ができるのか?、と投げかけたことがある。そのときは資金勘定をするのも研究のひとつですね、などとのたまっておしまいになった。しかし、本質的に理解されたとは思えない。



 そもそも研究という行為の定義を「知的な探検」などとしていたら研究行為の分析もできない。知的な探検と言うものは「非知的な探検」と言い換えてもわかるように、知的であるかどうかで探検と言う行為を修飾しているにすぎない。研究は探検とは別のものであるならば、この言は何の比喩にも定義にもなっていない。そこで研究行為の定義を与えてみよう。

 行為の観察から定義を与えてみると、研究とは実際のところ先人から教わった知を自らの行為と解釈で発展させ新しい理解を生み、それを先人として後に続く者に伝えていく行為だろう。したがって研究者とは、その先人から後に続くものに知的な付加価値を与える者のことであり、研究とはその行為のことだと言える。絶対に雇用者から「研究者」の役職をいただいた者のことではないのだ。

 研究者は先人からどのように知を受け継ぐかと言えば、他者から音声言語で受け取る部分もゼロではないが、殆どの部分は自然言語や数学で記述された文書で学習する。
 そして研究者は、動物としての感覚、そのすむ社会特有の社会性、世代や民族、宗教、信念などの世界観を持ち、周囲に存在する事物の理解に勤めた行為や結果を文書として次の世代に与えていく。
 かように、時々中断しながらも続く作業が2300年前から続き現代の数学になっている。400年ぐらい前からの作業が物理学になっている。研究は必ず入口と出口で文書を介して通じていることがおわかりだろうか? 「行為の観察」として見るのは外部から観察するってことだ。さらに踏み込んで自己の内部に存在する他者、これを仮定することで客観性といったマボロシが可能になる。まあそれは簡単には言い切れるものではないが、自己が観察する自己の研究作業を見てみよう。



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