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国家とは何か

(株)数理設計研究所 玉置晴朗 2003/04/22

考察のスタンス

 「かくあるべき国家」や「かくあったであろう国家論」ではなく、今を分析的に見て国家を考察したい。そんなことが可能であるかどうかはわからない。しかし、「かくあるべき国家」や「かくあったであろう国家論」には分析手法として根本に関わる弊害があると思われる。
 国家の中にしか生きていない者にとって、「かくあるべき国家」は、そうしたいと志す分析者の意志を作った国家の影響が色濃く出るはずだ。
 「かく成立したはずあろう国家論」には一歩距離を持った対応性も見られるが、事の前提となる古代国家論にかなりの無理が否めない。
 自然科学には局所的観察から世界を見る方法がある。たとえば時間のある一点の微分形式で時間流れ全体の現象を表現するものだ。こういう手法が社会科学に使えない理由は無いと思われるので試みてみたい。
 さて自然科学は古典的古典であるニュートン力学から微分形式が発展してきた。自然を論理で表現する形式として時間の推移で世界を記述するのは便利だ。なぜなら、わざわざ「時間的変化」と断らなくても運動は言葉そのものの中に時間を前提としているからだろう。
 そのような意味あいで時間をパラメータとする社会の変化を表現できればいいのだが、これがなかなかむずかしい。 むずかしさは時間ではない変量を定量的に評価することの困難さからきている。
 そこで一歩下がって、しょうしょう漠然としているが、時代ごとの首都間の交通状況と国家間の関係から国家を表現してみよう。
 さらに、時代ごとに国家なりと認定する根拠を権力者の側と住民の側、双方からあたってみよう。
 それらから、国家とは何か、どういう実体であり、どのように国家間で認定され、住民に認知され、権威が権威として維持される理由がわかってくるだろう。
 神学と同じく、国家論を最初に出してしまうと国家論は国家を構成する根本原理である事も多い。高名な人物の国家論を前提に話を進めると国家そのものを分析できない可能性も高い。そこで、古代から近代の国家論の紹介もしない。興味があれば自力で調べることだ。

国家間の時空間距離

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