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災害と記憶

数理設計研究所
2006/01/22 Hal.T
Index
 「災害は忘れたころにやってくる」と言う。忘れた頃とはどれぐらいの長さだろうか。長さはどのように見積もればいいのか、そして防災に役立てるためには人の記憶についてもっと知らなければいけない。  自然は自ら変化する。思わず巻き込まれてしまった間抜けな人間がいれば災害になる。防災とは自然を観察して巻き込まれることを事前に知ることなのだろう。つまり自然を理解する科学そのものなのだ。
 大雪のニュースで語られる「年寄りも経験した事がない」、ということから、ある火山学者のひとりごと(蓄積13700)にて災害記憶の期間について話題が出た。1世代+αの30年ぐらい、そして長周期の祭祀例が挙げられた。
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長周期の祭で有名なものでは日本の金砂大祭礼(72年毎)、ドゴン族の祭(60年周期、次回開催は危ぶまれている)などがあります。
 確かに、人間の社会活動の周期として3世代にわたるものがあり、神社の改築など木造建築物の耐久性と関わっていることがありそうにも感じる。

 しかし、ちょっと待てよ。きっかけは災害と記憶なのだ。記憶の耐久性のことではなく、経験が行動に結びつくことにおいてのみ記憶してきたと言える。行動に結びつかないのなら覚えていても記憶の名に値しない。確かに記憶ではあるけれど生き物は記憶を行動に結びつけることによってのみこの厳しい世界を生き抜いてきたのだ。本文は災害記憶が行動によってのみ評価できることを前提として話題を展開させよう。

 まず記憶を定義してみよう。記憶とは過去の事象を想起できることだ。人間は個人としての記憶、私は3歩歩めば忘れてしまうが、まあそれでも記憶はある。次に、少数の人間、家族や友人や知り合いの範囲での記憶もあるだろう。さらに進めば地域社会の記憶、民族としての記憶、科学的な記録=記憶などさまざまなレベルの記憶がある。
 また、記憶は映像的な感覚で記憶するレベルもあれば、記号として記憶することもある。多くは記号として記録=記憶されている。この小文もそういった意味では記号で記録している。
 
問題のキーワード

自然科学からの記憶
社会科学からの記憶
地名からの記憶
遺跡
オレンジ計画  公共機関の意義
津波避難率、土砂災害に対する住民、新住民
建築物の耐震、耐火 予算
軽い災害により大規模災害の記憶が上書きされる



参考文献
死都日本 石黒曜 講談社
首都直下地震<震度7> 柘植久慶 PHP文庫
早川研究室 雑誌などに印刷された論文・報告

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