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櫻島爆発記念碑  数理設計研究所 玉置晴朗 2004/05/25 撮影 2006/01/09

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道脇にある入り口
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東桜島小学校

櫻島爆発記念碑
 大正三年一月十二日、桜島の爆発は安永八年以来の大惨禍にして、全島猛火に包まれ、火石落下し、降灰天地を覆い、光景惨憺を極め、八部落を全滅せしめ、百四十人の死傷者を出せり、その爆発の数日前より、地震頻発し、岳上は多少崩壊を認められ、海岸には熱湯湧沸し、旧噴火口よりは白煙を揚がる等、刻々容易ならざる現象なりしを以って、村長は、数回測候所に判定を求めしも、桜島には噴火なしと答う。故に村長は、残留の住民に、狼狽して避難するに及ばずと論達せしが、間もなく大爆発して測候所を信頼せし、知識階級の人却て災に投じ、漂流中、山下収入役、大山書記の如きは終に悲惨なる殉職の最後を遂ぐるに至れり。
 本島の爆発は古来歴史に照らし、後日復亦免れざるは必然のことなるべし。住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤も肝要とし、平素勤倹、産を治め、何時変災に遭うも路頭に迷はざる覚悟なかるべからず。
大正十三年一月 東桜島村

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体育館の海側にある碑
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石碑文面
 宮崎市であった2004年の砂防学会に参加したおりに訪れた。碑は東桜島小学校の校庭の奥にある。自動車で校舎右手の入り口まで入り、居合わせた教員にこの碑の撮影をしたいとお願いをしたら教頭先生が出てきた。自己紹介をしてから防災のために記録したい趣旨を話し、承諾を得てから歩いて校庭を横切り体育館の海側にある碑の前に立った。碑は高さ2.5mほどの大きなものであった。
 「住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤も肝要とし・・・・」 さても理論とはつまるところ人の解釈や理解である。「異変を認知するとき」=「危ないと思ったら」避難しなさいとは何時の世でも至言である。

end