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科学

http://mira.bio.fpu.ac.jp/~tadas/dye_boots/0103/diamond.html


役に立つことと科学の関係(工学系科学者の言い訳)

 もし、これが科学者でなく技術者の言なら、能力を疑われる? 趣味で生きているだけの人か。「私は、非常に興味を持ってこれをやってみた。しかしどういう風に利用できるのかわからない。」、これなら許せる。純粋学問という分野はあるし、私たちもけっこう利用させてもらっている。
 しかし、まてよ。よく考えてみると、私たちが使う定理や発見の多くは、何かを解決したいと目的を持って研究されていたことを忘れてはいけない。純粋に興味でなされたものもあるが、少し実利的なものをあげてみよう  原理は別だというかもしれない。しかし、現実装置で無目的に原理研究されたものは無い。初期的にでさえ何がしかの解決目的をもっているように見える。
 食い扶持稼ぎにわずかな興味を付け足した科学者の片手間仕事でなされた仕事ではないのだ。どうも学者の多くは誤解しているし、我々もそんな態度を許してはいけないのだ。
 数学でも、現実問題の解決を目指したものが生き残る。お遊びも残るがね。微分、積分、フーリエ解析などいずれも問題解決型であるし、生成の歴史でも「役に立つかもしれない」ではなく、「役に立つように」研究された成果だ。少なくとも工学系の学者は問題の明確化から解決法をシステマチックに研究して欲しいものだ。ある成果らしきものができたから企業に使わせようなんて態度ではおこがましいものがある。
 問題を意識していない研究では税金を浪費するだけに終わるだろう。さらに良くないのは役に立たない研究をさせられた博士課程の人間も腐ってしまう。人は役に立つことをやりとげたいという意思で困難を乗り越えるのだ。あってもなくてもよい技術や特許のために研究するのではない。
 誤解してはいけない。直接役に立たず利用できない学問を侮蔑しているのではない。知の地平を広げるのはおおいに意味はある。しかし、こと工学では可能な多数の方法の全部を開発する意味は無いのだ。たとえば紐でコンピュータができる。紐を組み合わせてコンピュータを作る研究はどこに意味があるのか。実はある。
 コンピュータハードウェアそのものの進化には寄与できないとしても新しいトポロジーやアルゴリズムを生み出せる可能性はある。しかし、これも可能性を目指して研究するのでなければ、成果の望みは小さいだろう。意味性はかようにあいまいではある。ここで述べているのは、ある絶対量の資源を分配するときに全部を役に立たないと称する研究につぎ込むのはおかしいと言うだけである。適当な配分法はわからないが限度はあるはずだ。そして、あいまいな評価法でしか学者の評価が不可能なので論文数で評価されたりもする。これもあまり意味は無い。多弁なものが勝つだけ。工学で必要なことは役に立つことである。

 それが直接に役に立つかどうかわからなくても、知に貢献したと言えるのなら役に立つといえると思う。上のURLにはファラディーの例が出ているが、ファラディーはエンターテイメント科学者としても有名である。そういう意味では彼の研究は役に立たないどころではなかった。お客を集め、資金を捻出し科学の布教者でも遭った。ファラデーの電磁誘導は、利用面で「何の役に立つかわからない」と言わせたが、電気と磁気の間に相互作用がある事の発見は電気や磁気の本性にせまる一里塚になった。世界がどのような形で構成されているかを追及する、当時の知の探検の大課題だったのだ。そこを見失って現代のモーターから評価しては評価を誤る。

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