ひとつ前へ WWWルートへ 記述責任者:mad@mail.wind.ne.jp

技術と社会
2004/03/12 玉置晴朗
Index

よもやま、会話調で書いてみよう。

 情報工学を専攻して大学を終わり、さらに修士の院生としてすごしている君たちに社会に出た後でどのような人生をおくれるのかを話してみよう。
 まず最初に言えることは、非常に基本的なこと、たとえば情報量、エントロピーなどの概念は変わらないとしても今現在高度なことに類する先端的に見える情報工学的な知識は早ければ5年、長くても10年ほどの寿命しかないことを知っておいて欲しい。特に高度な部分ほど過ぎ去るのは早い。つまり、大学院でやっていることのほとんどは10年先では陳腐な知識になるのは確実なのだよ。小学校で習うものは1000年の耐用期間があり、中学、高校では100年、大学では10年、まあそんなものだ。

 さて、私の紹介をしておこう。私は群馬大学の教育学部を出てはいるが生来は工学的人間だろう。周囲には30代から50代まで多くの技術者がいる。おしなべて言えることは、皆さん頭は良くない。記憶力が良くないと言う方が当たっているか。記憶だけに頼って仕事をしない傾向がある。私もその点では人後に落ちず三歩あゆめば忘れてしまうことが少なくない。

 最初に技術者として生きようと志す学生に話すべきことは何なのだろうと思う。まずは、技術的解決では解答がたくさんあると言うことだろうと思う。つまり、唯一の解答ではない問題を解決するのが技術者なのだな。別の言い方をすればひとつの解答しか思いつかない者は劣悪な技術者にしかなれないということだ。たくさんの解答があれば困ると思われるかもしれない。しかし、そんなことはないのだ。
 技術とは多くの要因から発する要請に答えることなので、多くの可能な解答から選択する技術でもある。たとえば、最近は環境破壊の問題がよく言われる。地球の範囲で単純明快な解答は人類を先史時代に戻し、文明なるものを根絶してしまうことだ。でもこれは技術的な解決ではない。政治、社会、自然、そして私たち。それらの間でバランスを取った解決を求めるのが技術ならば、工学だけを知っている技術者は最低の技術者であると言える。

 現代の技術は科学を背景にしている。しかし、別の見方では科学は技術を背景にしているともいえる。世界を測定して知り、推論して科学とする。科学技術と4文字単語で書かれるが、じつは「科学と技術」と書かれるべきものなのだ。技術的に不可能な科学的知見もあれば、科学的に判らないことを技術的に解決することもある。絵を描く技術、楽器を奏でる技術、これらは芸術と言う。芸術と技術はそれほど遠いものではなく両者ともにARTと表現されることもある。

 かように、技術とは広い概念ではあるが、人間のなす技としては二つの側面があるだろう。ひとつは修練としての技術。これは手がする技術である。釘をひとつ打つにもプロとアマチュアの差は大きい。これが手にある技術、体で知る技術であろう。こういった体で知る技術をベースに技術社会は成り立っており、その上に言語でする技術がのっている。
 書籍や文書で書かれ、会話で伝えられる概念を無くして高度な技術は実現しようも無い。なぜならば体でする手工芸的な技術は1人でできるが、現代の多くの技術的課題は多人数でなされるものなのだからだ。情報工学で言えば、通信プロトコル、プログラムなど、すべては言語で実現されると言えるほどだ。言語表現が貧相な者は情報工学的な社会ではまったく無価値に近い者になる。そこを読み違えてはいけない。技術社会ほど表現能力の修練が必要な社会も少ないのだ。

 文系、理系という。文系の代表例である小説では、伝達されるイメージがまさにイメージ=幻想であってもかまわない。それは空想を刺激するものならばまったく読者の側の世界であろう。理系、たとえば物理学ならば、根本的に数学で表現され、誤解の余地が無い(こともないが)。
 一方、技術的な表現はたいていのばあい仕様書に凝縮される。仕様書は文学ではないし、ましてや物理学ではない。一種の手続きや、装置やシステムの可能性、利用性、実現法を書くものだ。これは実は非常に人間的な問題を含み、かつ一意に書き手の意思を伝達する技術を必要とすることになる。
 まず工学系の多くの学生が誤解しているのはこの点にあるだろう。

..end