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長崎(ハウステンボス)→広島県福山市 ヨット航海

KONA・WIND(艇長JA4QEY)同乗記 1998/8
JA4QEY ヨットクラブ、航海記など


夜の瀬戸内海(実際には写真に取れないので、昼の写真からイメージ作ったものです)


1998/7月末:ことの始まり

 私は技術講談師とでもいった仕事をしています。言ってみれば理系の研究を商売とはしているけれど、その研究は必ず実体化するものでなくてはならない点が大学の先生とは違っています。そこで研究乞食と称しています。
 98年7月末には研究の提案を出して今年の仕事が決まるかどうか結果を待ちながらすごしていました。
 アマチュア無線のデジタル通信網であるRLIネットを毎日のように見たり書いたりしていました。普段は特定のMAKE(自作とでも言うのかな)など興味のあるものだけを見ているのですけれど、このときは暇だったので全リストを眺めていました。送り出されるスピードは最高でも1200BPS、実際のところはひとつの周波数を使って複数の通信が行われているので300BPSにも満たない速度で、早くても5秒に1行というところでしょうか。
 ときどきモニタを眺めながらぼんやりとしていたところ、「大航海・・募集」とタイトルが見えました。コールサインはJA4QEY、私のコールサイン(JA1QPY)と似ています。
 どれどれ、内容を見るのに数分。なんとヨットで九州の鹿児島〜長崎、長崎でレース、長崎〜広島県の福山市までの同乗者を募集しているのです。
 船にはあこがれがありました。大学入試に失敗して浪人していたときに無線技術士の免許を取って船に乗りたいなと思って通信教育を受けたこともありましたけれど、翌年にまぐれで群馬大学の教育学部に入学してしまい、それっきり。ありきたりですけれど広大な海と冒険への夢を持っていたのです。
 10年ほど前に、QSOした千葉県の相手局がディンギーを持っているヨットクラブの主催者と言うので、なかば無理矢理に約束をして、ハム仲間を集めたのですけれど、せっかくの当日にはあごの骨の予備手術で行けずじまいになっていて、なんだか海は縁遠いのです。
 もともと運動競技はだめですが、山を歩いたり素潜りで海の幸をとるなんてのは大好き。10年ぐらい続けて初夏には佐渡の北端にある二つ亀島に行っていました。この小海域はキャンプ場を管理している施設が漁業権を持っているらしく、適当に採取漁をしても漁師に怒られないのです。
 と言うわけで、大航海募集のメイルに「乗せてくれたらうれしい」と、さっそく返信のメイルを書き、わずかな期待を持って待ちました。数日後、返信があり、なんとOKです。大量に応募するんではと思ったのですが、それほどの応募はなかったようです。どうも私のように、何でも一度は経験してみよう、自分にあわないのならやめればいいというような信条を持つ人って多くないようですね。
 同時に8月の予定が目いっぱいに詰まり始めたのです。なぜか忙しいときにはどんどん予定が詰まり、普段は来客の予定などを決めるときでも「いつでも空いているからそちらで決めてください」と言っていたのが嘘のようです。何度かRLIネットやインターネットの電子メイルでやり取りをした後で、長崎から福山市までの4日間の航程に参加することに決めました。
 仕事上で8月中に済ませておかなければならないことはとにかく大車輪、ハムフェアの準備や参加はおざなりにすませました。

8/26:出発

 群馬県は雨。出港は明日の予定だけれどさすがに長崎は遠いので朝9:30に前橋を出る。高崎駅前の駐車場に入って料金を見ると1日あたり2000円などと書いてある、26〜31日までだと6日で1万2000円。
 さすがに高いなあと感じ、即座に駐車場から出ました。入ってすぐなので、タダで出してもらえたのはラッキー!。少し離れたところにある1日あたり500円のタワー型の駐車場の最上階に駐車してひと安心。新幹線で東京に出発、リュックひとつだけが持ち物です。リュックの中にはバイク用のほぼ完全防水の実績があるゴアテックスのカッパ、それと釣道具と着替え、歯ブラシ、タオルとデジタルカメラ。
 昼少し前の11時、東京に着くとピカピカに晴れていました。航海中の天気も良かったのですけれど関東は、その後1週間ぐらいぐずぐずと大雨が降って洪水などの被害があったようです。
 新幹線と飛行機、さてどちらにするかと思いましたが長崎は遠いので飛行機!、浜松町から羽田へ向かいました。浜松町に到着してモノレールへのエスカレータがあるところに国内線の各航空会社の切符売場があったのでそこで切符を購入。JAS365便、3万円弱でした、高いですね。
 羽田へ行くなんてめったにないのでモノレール駅の途中にある「羽田」の看板で降りたのだけれど、なんだか雰囲気が違う、皆さん降りない!。あわてて別の扉から飛び乗って良く見ると降りるべきところは「羽田空港」と書いてある駅らしく「羽田」ではないのだな。紛らわしい駅名。羽田に早く着きすぎたので、登場口のそばにある江戸前すし屋で昼のランチ、それほど悪くはなかった。
 さて、飛行機の乗り場へ行こう。なにせ国内線の飛行機は始めてなので勝手がわからない。乗る人はゲートを通って持ち物の検査をされることは国際線と変わりがない。リュックと腰ポーチをはずしてX線検査装置を通過させる。ポーチに小さなアーミーナイフを入れておいたのが見つけられてしまった。女性警備員からいんぎんに「開けてください」と言われて開けるときには後ろでごっつい男の警備員が足を開き棍棒を持って見張っていたような気もするが、これは被害妄想かな。
 JASの便ははしっこのほうに登場口があるので、ぶらぶらして中にある本屋や土産物を見ながら1時間ぐらい暇をつぶしました。搭乗案内があってから、飛行機の入り口まで例のヘビ通路を抜けてドヤドヤと乗り込む雰囲気はまったく国際線と変わりがありません。一人客は相席にならないように二人席に一人づつ割り当てているようだ。二人席にのんびりと一人で座りました。ちょうど主翼の前端になっていて眺めも悪くはないようです。ドアを閉めてから、進入路をゆっくり走り、滑走路に到着。特に一時停止するわけでもなくジェットエンジンをギューンと最大出力にしてグイグイと押しまくり離陸。
 この時だけはいつもぞくぞくする。しかし20年ぐらい前に初めて乗ったときの感動はすでにない。離陸してから30分ほどすると機長のアナウンスがあり、高度8600m、速度840kmh、外気温−26度、風速16mとあった。名古屋あたりであろうか?
 日本のどこを飛んでいるのか良く分からないうちに、大村湾を右に左に見下ろしながら旋回して16:45長崎空港に着陸した。長崎空港は大村湾の南のほうにある小さな島にあるおもちゃのような空港で、橋で本土とつながっているように見える。
 空港からロビーに出るとおじいさんがハウステンボス行きの船があると知らせる看板を首にぶら下げて立っていた。
 オーシャンラインという会社は大村湾の中でハウステンボスやその他の数地点まで30人乗りぐらいの高速モーターボートを運営しているのです。長崎空港にあるオーシャンラインの船着き場はかなり貧相ですが、そこで1時間ほど待ちハウステンボスに向かいました。
 乗り込んでスピードが出てくると同時に揺れの心地よさで眠り込んでしまい、17:25にヨットが並んでいるハーバーの脇にある船着き場につきました。
 ハウステンボスは見るからに異国風の建物が並んでいる。観光地で良く感じられる露天商っぽい匂いがまったくない、清潔な感じです。一応、入国ということなのでビザにかわる料金(入場料)が必要らしいが、ものはためしと入場料金のところで、KONA WIND(コナ・ウィンド)のクルーだが料金がいるのか?、と聞いてみました。
 そこからマリーナを管理している崎田さんというかたに電話してくれて、ハウステンボス・マリーナに係留しているヨットの関係者はただで良いとこのと、ラッキー!。聞いては見るものだ。関係者バッジをもらってどうどうと無料ではいれました。
 ハーバーの事務所に行き、おそるおそる「コナ・ウィンドのクルーですが」と言うと、何やら宅急便らしい到着物があるので持っていくようにと言われた。青い色のポリタンクふたつである。なんだか水でも入れるのかいなと、ともかくヨットの場所を聞いてみたがどうも要領を得ない。たぶんDの5かななどと言う、どうもDは桟橋の番号、5は手前側からの順番らしい。石川さんからは翌日朝の汽車で到着するので、それまではヨットに宿泊しなさいといわれていたのだ。
 200mほどある桟橋を歩きながら眺めてみると、なんだかすべてがでっかいヨットである。大小取り混ぜてといった雰囲気ではなく、あるランクのヨットが勢揃い。ハウステンボス主催のレースがあったので、それで同ランクのものがそろっているのかなとかってになっとく。
 D−5についてみると、でっかい!。白地に赤いラインが引いてある、「KONA WIND」と書いてある。ひゃー、これかいな。32フィートというランクで約10mの長さがある。幅は4mぐらいで意外にずんぐりむっくりとしている。

 ヨットのイメージからするともっとほっそりとしていると思っていたのだけれど、まあ本物はすごい、おまけに今晩はひとりで感じることができる、感激!。
 船尾には海で泳いだ後、よじ登るのに都合がいいようなテールフィンがついている。後に何のためについているの?と聞いてみたら、「船型を良くしてスピードが出るようにするため」ですと。「そうですね、船尾が断ち切られた形になっているより、きれいに収束しているほうが造波抵抗も少ないでしょうなあ」と知った風な私でした。
 甲板によじ登り、電話で知らせてもらっていたキャビンの番号鍵を合わせて、ザ・オープン。今夜はここに1人で宿泊するのである、思っていたより広く、真ん中に机があり両サイドにベンチ、船の後方の両サイドに2段にベッドがあり6人が楽に寝られる。そういえば外のプレートに定員8人と書いてあった。2人はおきているのだろうかしら?
 甲板のキャビン入り口から階段はしごを降りると主室、中は大きく分けて、前部、主室、後部と別れている。前部はカーテンで区切られていて、まっこと舳先の内側である。天井にはハッチがあり、バウハッチと名のついた天窓がある。なんだか動かしてみたくなり、開けて船内から外の前をのぞいてみたりしてニンマリ。前部船室の中はセールや救命胴衣のたぐい、それに洋式トイレがある。このトイレは使わずじまいであったが、どのようにしてウンチを排出するのであろう?。ともあれ、無事に今夜のねぐらを確保。食う寝るところに住むところ、これが決まればあとはハウステンボスを見ようと出かけてみた。
 夕方ではあるけれどまだ日も高い。周りを低い山に囲まれたところにハウステンボスがある。オランダの港町の雰囲気らしいのだが、オランダはパリからデンマークに行く列車で通っただけなので、どういうところかは知らない。私はデンマークのコペンハーゲンから1時間ぐらいの小さな町トストラップに2週間ほど滞在したことがあり、非常に似ている感じがする。そうそう、デンマークで無免許運転して遊びまわっていたのだ。海沿いを走るとヨットがずらりと並んでいた。
 デンマークとスウェーデンのあいだには3kmほどの巾がある海峡があり、デンマーク側には古い時代から国境警備のための小さなお城がある。城壁の上には旧式の砲が海に向かい、中庭には全長10mぐらいのキャノン砲が置かれていた。このお城は悲劇物語ハムレットのモデルとなったクロンボー城というお城なのだが、横の海岸に小さな碑が立っている。デンマーク語と英語で「ここをバルチック艦隊が通り、そして帰ってこなかった」と書かれている。海峡の右にあるバルチック海から左の北海を通じて日本海へ向かったのである。
 ハウステンボスは塀の作り方、敷石のならべ方、道端に立っている配電盤や電話中継箱のたぐいまで忠実にコピーされているようだ。お祭り騒ぎにありがちな日本がかいま見えてしまうようなところが払拭されていて、外国の雰囲気が強く感じられる。ここで、日本語だけが聞こえると書けばいいのだろうけれど、事実は中国語と韓国の言葉が行き交っていた。夏休みも終わりに近いし関東などより大陸に近いせいなのかアジアの観光客が半分以上。したがってきれいなネーチャンだなと思って近寄ってみても、中国語じゃ話もできない。もっとも団体、家族連れがほとんどで私にそんな色気はない。
 夜になるとヨットハーバーの周辺が催しごとの会場になる。観光客はヨットハーバーには入れない、関係者以外立ち入り禁止だ。
 海賊劇を演じるらしい野外劇の音響効果もすばらしく、空を飛び交う赤や青のレーザー光がときどきヨットのマストに当たり激しく光を結ぶ。こんなどんちゃん騒ぎが夜の9時ごろまでつづき、それを買い込んできたオランダ製の黒ビール片手にヨット上の特等席から眺めていた。
 まだ石川さんともあっていないし他人の船なので、中でタバコは吸わないことにした。こんなことで失礼があってもつまらないしね。けっこう繊細なのです。ヨットは特に電源ケーブルも引いてないし、エンジンも運転していないので電源はなく。持ってきた懐中電灯で、キャビンのベンチで寝ることにした。
 長期停泊して寝泊まりしているヨットには陸からケーブルを引いて100Vが供給されているものもあります。ハウステンボスの見世物も終わり、舷側に当たる葉巻のお化けのような防舷材がキューキュー音を立てるのを聞いているうちに寝てしまった。

8/27:ハウステンボスから出港

 目が覚めると快晴であった。9時ごろになったら石川さんたちがくるはずなので、朝飯を済ませようと事務所のほうへ行ったら、軽油を昨日のポリタンクに入れておくようにとの伝言があった。
 どうしていいのかわからずにいたら、石川さんの知り合いと名乗る男がヤマサキであると自己紹介。軽油の入れ方を教えてもらえました。「ありがとう」と言うと、「初めてでもすでに関係者だから」と親切なお言葉。この「関係者」、おもしろいものです。ハム人口も減れば「関係者」の感じが戻ってくるでしょうね。
 軽油を入れてリヤカーでヨットに戻り、よっこらしょと甲板に乗せ、朝飯を買いにぶらぶらとハウステンボスの中を歩き、もどってみると若者がひとり何やらしています。近寄ってみると、岸本君と自己紹介。クルーのひとりだそうです。石川さんはキャビンの中にいるとのことで、さっそく初対面のご挨拶。私もおじさんですが、もうすこし年が上のように見える、まっことヨットのおじさんでした、納得。
 良くわからない作業を言われるまま手伝い、昼ごろに出港の準備が完了。石川さんが艇長、岸本君が補佐、私はおまけと言う雰囲気、全員でたったの3人です。
 ジーゼルエンジンを起動して、もやい綱を解いて飛び乗り防舷材やロープをきれいに巻いて船内に格納しと、どたばたとしているうちに無事にハーバーを離れました。
 ぶっこわれた自動販売機のような音を立ててジーゼルエンジンが動いて、だいたい4〜5ノット(時速9kmぐらい)でゆっくりと進みます。このゆっくりが福山市まで続くとは思いもしませんでした。
 することもないので甲板に座っていると転げ落ちそうです。フェリーや漁船と違って甲板が丸みを帯びていて、ぼんやり座っていると落ちそうなのです。いちおう手すりもあるのだけれど頼りになりそうもない。岸本君はそんな丸い甲板でさっそくグウグウと寝てしまいました。夜行列車で良く眠れなかったのでしょう。
 ハウステンボスから南に出ると大村湾の北の端です。そこから島の間を抜けて平戸へ行きます。
 佐世保の南に達すると北側に大きな三本の煙突のようなものが見えます。石川さんが、「あれはニイタカヤマノボレを発信した海軍通信所の送信アンテナだ」と言いました。
 それを眺めながら幅が1kmもないような海峡を北に上っていきます。見ると周りが渦巻いています。海に流れがあることは知識としては知っていましたが川のようにゴーゴーと流れるとは思ってもいませんでした。
 ところどころでは下から盛り上がるように沸き上がっていたりもします。緑色の海でした。海岸では釣りをする人が珍しそうにこちらを見ています。自分のヨットでもないのになんだか誇らしい気分です。
 でも、釣りをしていてこんな海に落ちたら、助からないだろうな。海峡を抜けて佐世保を遠くに眺めながらしばらく行くと平戸島です、平戸にはまだ明るいいうちに到着。平戸漁港では中型漁船の横抱きにして係留。
 これから漁港ごとに同じような形で一時停車、停船ですね。漁業の仕事をしている人はなんだかとっつきにくく恐く感じていたのですが、海のほうから声をかけるとぶっきらぼうでも、けっこう親切に「その船ならいいよ」などと教えてくれます。まあ「関係者」ということなのでしょうかしら?平戸ではせっかくだからということで地元の料理店に入ってみました。ところが地元の魚介類は皆無、遠洋のマグロだかを食べさせられておしまい。帰りにスーパーによって船内で食べるカップラーメン、カップうどんを買い入れました。
 福岡に昼ごろつくつもりで、夜の22:00に平戸を出る予定をたて、岸本君と石川さんはそのまま寝てしまい、わたしは近くの温泉に出かけ観光してみました。
 平戸漁港から北のほうへ半島を回ったところにある海上ホテルで風呂を見つけ、入ってみました。たった半日の日焼けがものすごく痛く、その後は短パンから長ズボン着用に切り替えました。

 22:00に平戸を出発。ヨットで夜の海は始めてです。じんわりと恐怖が湧いてきます。出港して港の目の前にある赤と青の防波堤を示す航路標識のあいだを抜け、小さなヨットは波をかき分け自転車ぐらいの速さで前進します。石川さんは岸本君に、「次はどういう周期の何色の標識で・・・」などと、航路標識の見方の訓練をしているようです。
 おいおい、岸本君は時々間違えているぞ。そんなことで行き着くのかいななど、初心者の私は戦々恐々としていたのでした。良くわからないうちに五島列島の横をとおり玄界灘のほうへ出ていくのでした。
 沖に出ると波が厳しくなり、4つほど波を乗り越えると大きな波がくるのか周期が狂うのか、空中に飛び出し船底が次の波に衝突するバッコーンという音が轟きます。
 私は足手まといもいいところだろうと自己判断。「寝るよ!」と宣言してキャビンに入り横になりました。疲れていたのですが、緊張していたので3時間ほどのあいだに数分寝ただけです。底打ちの音が激しく3:00ごろまでうつうつとしていました。キャビンの中にあった小さな机のなかでひたすらジーゼルエンジンがうなっていました。

8/27:福岡

 目覚めたら福岡市まで少しの距離、島のあいだを抜けて動いています。ゆっくりと自転車並みの速さなのでのんびりと緑に包まれた島をめでながら気持ちは最高、湾の中に入ると「あれが福岡ドーム、一度行ったことがある」などと話しながら2時間ほどかかって朝の8:30に福岡市の小戸公園マリーナに到着しました。
 ここもヨットがずらりと並んでいて、漁港と違いちゃんとしたヨット用の水面から50cmぐらいの桟橋に繋ぎ止めます。
 始めにヨットの接岸するほうに防舷材をならべ、それからヨットの頭とお尻の部分にロープを結んで岸本君と私が飛び移る用意をして待つのです。それからごくごく低速で桟橋に寄っていくので、ぎりぎりの時に飛び移って桟橋からバランスを取って接岸させるのですけれど、これがなかなか面白いのですがむずかしい。ともあれ、艇長が何のかんのとわめいているのはそれとして、いっしょうけんめい繋ぎ止めました。
 朝も早いのでゲストハウス?というのか、事務所と言うのかわかりませんけれど、鉄筋2階建ての大きなものがあるので行ってみると、海洋少年団と言うのかな、まあそのような青年たちが門番していました。もちろん「俺はOMだ」、おっと違う「俺はヨットマンで荒波を越えてきたんだ」という顔つきをしてズカズカと入って行くのです。
 入って行くと、「おお先輩だー」と言う感じの、きりっとした顔をして「おはようございまーす」と元気の良い挨拶でござりました。
 このマリーナはおおくの青年たちがディンギーやらもう少し上級のヨットで練習をしており、にぎわっていました。私は「関係者!」の振る舞い方がいくらかわかってきたのか、もともとでっかい顔をするのが好きなのですが、大きな顔をしてゲストハウスの二階でどうどうと夕方まで昼寝です。艇長と岸本君はヨットに天幕を張って甲板で寝ているようでした。
 夕方になると福岡で会おうと言っていた村岡さんがなんと迎えにきてくれ、市内まで連れていっておごってくれました。ありがたや。
 岸本君はまるで飲めないので、石川さんと私がたらふく詰め込みそして飲み、村岡さんの話で盛り上がりました。会うまで知らなかったのですが、村岡さんは歯医者さんでした。子供をあやして歯を抜く話やら、韓国語やら中国語を交えてたわいない話ですがおもしろかったし、奥さんはたいへんな美人だったのです。
 帰りはタクシーでハーバーまでたどり着き、翌日の関門海峡の潮の状態にあわせて0時に出港。まあこのヨットはこのときだけではなく、出港するときには乾杯!、港を出ても乾杯、到着しても乾杯、なにがあっても乾杯、いつも酔払い運転でした。 普通の船はヨットには近づかないほうがけんめいです。

8/28:玄界灘から関門海峡

 先日の航海は初めてなので心配でした。しかしまあ、あれぐらいの波でドッスンバッタンしていても沈没することはないという感じがわかったので、安心感が出ていたのか、あっというまえに眠り込んでしまいました。
 玄界灘で船は前後に揺られています。寝ている足のほうが船首、頭のほうが後ろになっています。足が30度ほどあがったりさがったりします。5秒ぐらいの周期で数回繰り返すと、波の上に躍り出るのか、それても周期があわなくなるのか、バッコンと音がして船底が空中から水中に入る音がします。このときに外にいると船首の両サイドにたかだかと水しぶきが上がるのです。

 4:00ごろ、危険を感じたのか、うつらうつらしていると船首ハッチから突然に海水がなだれ込んできました、下半身ずぶぬれです。船首ハッチはエンジンが過熱気味なので風通しのために開けていたのです。
 キャビンから見上げてみると、登り口の上にはセールがほどかれてかぶさっています。すぐに外に出ることはできません、上では二人が大騒ぎしながらセールをほどいているらしい声が聞こえます。しょうしょう慌てましたけれど艇長の呼ぶ声に思い切ってやみ雲にセールをかき分けてあがりました。暗い海の中でもけっこう見える物です、月でも出ていたのでしょうか?
 ともあれロープ引きを手伝ったりしてセールをあげました。落ち着いてから聞いてみると、沿岸を走っているときに、エンジンがオーバーヒート、ほぼ停止状態になったので波に突っ込み、南側に岩礁があるので北風で吹き寄せられて座礁するのを避けて操船するためにセールをあげたのだと言うことでした。
 しばらくそのままセールで航海し、4:30ごろにセールをおろしてエンジンで動くことにしました。
 ずぶぬれになりましたが、緊張していたし暖かいので気にはならず、そのままオーバーヒートを幾らかでも回避するためにエンジンが納めてある机のふたを開けっ放しにして、どえらいガチャガチャと音を立てるジーゼルエンジンの50cm脇で朝までぐっすりと寝てしまいました。
 6:50関門海峡に到着、すでに陸のそばなのか波は静か、空はなんだかどんよりしています。釜山からのフェリーがしずしずと追い越します。関門海峡は途中で鍵の字型に曲がっていて、フェリーのように大きな船はきっちりと右側を通行していくのです。
 コナ・ウィンドは遅いので潮流にさからうと、まるで進まない状態になってしまうので潮流の時間が重要になってきます。
 有名な関サバを釣るらしい小さな、ほんとうに小さな漁船がアンカーを降ろしているのか潮流に逆らってエンジンで停止しているのかわかりませんけれど、ところどころで漁をしています。
 海峡を抜けて瀬戸内海。だんだんと天気も良くなってきた。夜中の荒れ模様は関東に大雨を降らし迷走していた台風につながる前線だったのかしら?。
 艇長はさすがに疲れたらしくキャビンに入って眠ってしまい、岸本君が操舵し私は岸本君が眠ってしまわないように見張っています。操舵と言っても自動操縦装置なるものがあり、言ってみれば自動的にスライドするリニアモータのようなものを手動の舵にはめ込むだけです。
 これがすぐれもので、内部に磁気センサを持っていて、左に1度などと押しボタンで指示するとちゃんと動くのです。自動制御に興味を持っているので、微妙に進路を変えてみると、あまり蛇行もせずにぴたっと決めてくれます。蛇行するのは斜めの波に乗り上げたときに当て舵を取るときぐらいで非常に性能は良かった。
 しかし艇長いわく、「機械は機械、壊れることもあるので信用しすぎないこと」。ごもっともです。
 周防灘にはいって右に九州、左に本州、静かな海をゆっくりと進む艇の脇を眺めているといろんな物が流れすぎていきます。2mぐらいの茶色いぶよぶよしたクラゲらしきものもいました。船尾からルアーを曳航してみましたが、航海中には何も釣れません。何が釣れるのかの問いに「さあて、サメかな」の一言。

 左に町が見えてきたので「あれが宇部かなあ?」と聞いても、岸本君も良く知らないらしく要領を得ません。ともあれ「宇部セメント」などとかいた工場を過ぎたころです。
 右前方に同型の少し大きいヨットが見えてきました。こちらとすれ違うようです。たったの2日ですが、私の気分はまったくのヨットマン、友達に会うような気分です。
 すれ違いながら人が手を振っています。そう言えば、大きな船でも半分以上の船はすれ違うときに船長だか航海士が手を振っているようです。バイクで旅行するとVサインをすることがありますけれど、あれと似たようなものかな。ただし指で示すVサインでは距離がありすぎて見えません。タオルや帽子をおおげさに振り回してやっと見えるぐらいが普通なのです。その距離感は陸の上ではなんとも表現しづらいもので、あえて言えば一番近い意味ある物が隣り町の電柱という感じかな。
 そのヨットにはひとりしか乗っていないようです。良く見ると何か言っているのですけれど聞こえません。こちらもあわせて手を振っていると急にUターンしてきて20mほど離れて平行して走り始めました。箱の上下を手のひらで挟むように上下させながら、何かわめいているのです。
 エンジンの回転を落として話を聞いてみると、「前方に水深1.5mの浅瀬がある」と警告してくれました。手のひらを挟むように上下させていたのは水深が浅いという意味だったのです。こちらも前方を良く見ると100mほど先に5mぐらいの高さのブイがあります。感謝感激、あわててそのブイの沖側を遠回りしました。黄色に黒に塗られたブイは危険通知だったのです。
 このヨットは水面下1.8mまでセンターボード?が下がっているので、もし干潮のときならばぶつかってしまうところでした。一応は超音波による警報装置が装備されていて5.5m以下になると警報するようになっているとのことですけれど、それでも海底から垂直に立ちあがる崖では警報と同時に衝突してしまいます。
 昼はカップラーメンやウドンを岸本君がお湯を沸かして作ってくれました。このヨットには揺れに応じて傾くガスレンジがついていて、ちゃんとガスが使えるのだ。波が大きくてドッスンバッタンしていてもヤカンや鍋が転げ落ちないように底のほうをクリップするようなものがついている。ちなみに水は1リットルのポリ瓶を20本ぐらい積んで使っています。中身は港の水道水。その他、缶ビールが多数!。缶ビールは石川さんが80%を飲み干し、私が残り20%かな。
 徳山の沖にある野島の近くになると少し風が出てきたので、15時に帆を揚げてみた、しかしエンジンを止めると2ノット。残念ながら労多くして益少なし。16:00に降ろしてしまった。相変わらずジーゼルエンジンで5ノットぐらいの速度でチビチビと進む。
 はるかかなたに島が見えてきたので、どのぐらいの距離かと見ていたら1時間かかってその横にきた、つまりヨットの高さから遥か向こうの島がみえても10kmぐらいということになる。
 相変わらず自動操縦装置がかってにジージーと小さな音を立てて操縦してくれる、便利なものだ。ヨットでは操舵する者が最後尾に座る、左右どちらに座っても羅針盤が見えるようにキャビンの両脇手前に20cmぐらいの羅針盤が設置されています。
 キャビンにある航路を確認する机にはGPSとハンディの無線機が置いてあり、航路図がいっぱい乗せてある。航路図はかなり詳細で、もちろん水深や航路標識、ブイや灯台の周期や特性が書かれているらしい、私には良くわからない。
 船の最後尾には1.5mぐらいの鉄マストが2本ありハム用のアンテナとGPSアンテナが乗っています。
 夕暮れが深まる18時に祝島(いわいしま)の漁港に到着。漁港の入り口の前には防波堤があり、それを回り込んで入って行きます。入り口は非常に狭く、おそるおそる入っていくと祝島と本土のあいだで運行されているフェリーが一番左、そのとなりに中型の漁船が係留されていました。
 「おーい、この漁船に結わえ付けて良いかあ?、水深はどれぐらいかあ?」と漁港の周辺を歩いている人にどなって聞いてみても要領を得ない。こういうときにはハンドスピーカーが欲しくなる。

 ともあれ結わえてあがってみると、桟橋の上にひとりのおじさんがいる。 いわく、「その船は夜中にタイ釣りのためのエビ漁に出るけれど、それまでなら大丈夫だよ」との言。本当にエビでタイを釣るのだ。
 この人に「食い物屋や温泉あるかい」と聞いてみたが、祝島には売店しかないということだった。この方は郵便局に勤める橋部さんで、あれやこれや話しているあいだに鯛をいただけることになったので大喜び。
 しかし見せてもらったタイ、なんと頭から尾まで60cmもある、どでかいやつで見たこともないほど大きい。さすがに3人で食べるのにはもったいないので、さすがに遠慮して、手のひらぐらいのものを4匹ほどいただいた。橋部さんは郵便局の仕事をしながら、たまに釣をして篭に生きたまま飼っておくのだそうだ。趣味とは言え陸の釣とは趣が違う。
 われら三人は陸に上がり、それぞれ違う方向に探検することにした。私はヨットが停泊している目の前にある橋部さんの家に上がり込み、いろいろと四方山話。
 この島の人口は公称780人ほどであるけれど、実際のところ仏壇だけが置いてあって、お盆と正月に帰ってくるだけの家が多いとか。そういう家を観光客に貸せないかななどと過疎の村らしい悩みであった。しかし、観光のためにこの島を開発すると言うのも残念な気がする、感じの良い島なのだ。30人乗りぐらいのフェリーの乗船口には「万葉の島」と書いてあった。1000年ぐらい前には本州から祝島、姫島を通って国頭半島へ行く道があったのだそうです。
 橋部さんの家に上がり込みビールを一本空けてしまいました。シャワーでもどうかと勧められるのをありがたく辞退し、船に戻った。 橋部さんからは鯛とサラダをいただきました。
 石川さんは港から(ヨットから陸を見て)左のほうへ行ったのだが、道端でどこかのおばさんからご飯とたこの煮付けをもらってきていた。ちゃんと3つある。
岸辺君はせっせとタイを刺し身にしている、手際が良くじょうずだ。
 エンジンが止まっていて静かだ。薄暗い船内で、ビールで乾杯して至福の夕食を取った。こんな豪勢な食事もめったにないと思えるものだった。
 石川さんと岸本君は船内で、私は桟橋で蚊にかまれながら横になり休息。 22:00に祝島を出港。そのころには水深が50cmほど深く潮が満ちてきていたので岸壁から近くの漁船に飛び移ることができなくなっていた。しかたがないの岸壁の遠くから走ってきて思い切って漁船にしがみつき、それに横抱きされているヨットに乗り移った。
 祝島漁港を出ると石川さんの指導で岸本君が航路図を眺め、1秒ついて7秒休むブイが見えるはずだとか、いろいろなパターンの航路標識を探しながら手探り状態で進む。なにしろ周囲は真っ暗、銀河がミルキーウェイの名に違わずミルク汁を垂らすほど濃厚に見える。
 ひときわ明るく光るアルデバラン(岸本君いわく)が強烈に見えている。祝島の北側は瀬戸内海の本航路ではないので、ちゃんとした航路に出るまで3時間ぐらい。
 石川さん、「玉置さんはマストの根元にしがみついて前を見ていてください」。「私は目が良くないよ」と、断りを入れてはみたが他に人はいないので、マストにしがみつく。
 高いところは少しの揺れでも振り回されるように揺らぐものである。手をマストに回す。マストはジュラルミン製のオーバル型の断面を持ち、断面は前後20cm、横が10cmぐらいのものである、まわした左手の手首を右手でつかんで固定した。
 「前方に浅瀬があるかもしれない、浅瀬があれば波が砕けているからね」、これにはたまげた。「ウゲー、そんなあ」と思っても見ているしかない。

 島影は良く見えるが、重なっている島は判然としない。夜空に見える島の稜線は見えるのだけれど、手前に小さな島があっても大きな島の黒い影に溶け込んで見えないのだ。浅瀬は島の稜線の延長にあることが多く、近くの島影が判然としないのは一大事なのである。
 祝島を出て、トツーのブイ、短く光って長く光るモールスで言うAである、このパターンが行きたい航路全体をつなぐ標識だと言う。最初のAを見つけてからその横に達するまで1時間ほど、つまり10kmも遠くのブイを海面からの高さ3mの位置で見つけるのだ。強度の近眼+乱視、最近は老眼なので疲れはててしまう。
 あるブイまで達すると、航路をXX度に変進、次のブイでは横に標識灯台が見えるところでYY度に変進、これを繰り返していくのだ。陸を進むのとは大違いである。
 浅瀬の可能性はあったもののなるべく島から遠ざかるようにして航海したので発見することはできなかった。幸いである、だからこうして駄文を書ける。
 マストの根元から舳先を見ると、左右に切り分けていく波が見える。この波が夜光虫でまるで緑色の蛍光燈のように光る。それもなまじな明るさではない。
 夜光虫が多く住む場所を通るときには非常に明るく見えるし、大きな船の波が重なるときには前方の海面全体がグワッと光って見える。慣れないうちは浅瀬と勘違いして肝を冷やした。夜空の銀河、目に痛いほどの一等星、夜光虫の海、近くなった主航路を進む貨物船の安全灯の光、夜の瀬戸内海はあまりに美しく、小さなヨットは痛々しいほどのエンジン音を立てて進む。
 瀬戸内海の主航路に近づいてきた。航路は大きな船が列を作って並んでいるので、速度の遅いヨットは追突される可能性がありちょっと脇によって、と言っても500mほど離れて進んでいるようだ。
 一度だけ1kmほど遠くから探勝灯で強烈に照らされたことがある。相手はフェリーだった。一般的に船は前後の高い位置に白色の灯、最後尾に青い灯、前部に赤い灯、いくつかのパターンがあるらしいけれど、そんな感じで衝突防止灯を掲げている。
 慣れない私には距離感も釈然としないのではっきりしないけれど、自動車の後ろから見ると赤ランプのようなものだろう。白色等が重なっていれば、こちらに来るかあちらに行く方向、赤と青の灯の具合で衝突するか離れていくかが判定できる。
 夜中の2時ごろ海が荒れ始め、船が前後にピッチングするようになった。ピッチングが始まるとジーゼルエンジンの冷却水に空気泡が混ざってしまい流れが悪くなるのか、過熱警報音が鳴る。だんだんとピッチングと警報の関係がつかめてきて、なるべくピッチングしないように操船しているようだ、避けられないときにはしばらく回転を落とす。
 岸本君はジーゼルエンジンの横でグウグウ寝ている。エンジンの蓋(机の上面板)は開けっ放し、部屋の中はバウハッチから通風しているのだけれど40度ぐらいになっている。
 波がきつくなってきたのでバウハッチをしめ、キャビン入り口の天板も閉めた、たぶんキャビン内は50度ぐらいになっているだろう、それでも良く寝ている。
 操船には必ず二人が起きている、これは寝てしまうことを防ぐためだ。私は最後尾の左側、石川さんは右側に座り、物も言わず前を見ていると、あっというまに寝てしまった。
 先年、あの世に行ってしまったオヤジの声、「オイッ」に驚いて目を覚ますと石川さんの首がたれている、完全に寝てしまっていたようだ。
 あさ4:00まで眠気と戦いながら運航、ついに豊後水道を通り松山の灯が夜空に照り映え始めた。眠気を覚ますために、何か食べようとレンジの周囲をあさり、ゆで卵やら引っ張り出してきてむしゃむしゃ食べていたら本格的に夜が明けてきた。とにかく物を食うか話をして口を動かしていれば眠気も耐えられる。

夜が明けてほっとしている写真である、左が石川さん、右が岸本君。

 松山方面から、10:00に大三島、大島のあいだから来島海峡?にはいる。ここは、これぞ瀬戸内海と言うぐらい瀬戸内海らしいところである。大小の島が散在し、あいだを水路がつないでいて波も静かなところだ。大三島橋の下をくぐるとさらに静かな海になった。 今回の航海にもやっとなれ始めてきて、岸本君や石川さんともくだけた話ができるようになってきた。しかし、それでも一連托生のチームであることに変わりはない、つまり艇長は艇長で、私は単なる乗組員かおまけ。そういうものだろう。
 島を見ているといくつかのタイプがある。山の上まで道路が走る島は海岸線が護岸工事されていて、開発は進んでいるが住んでみたいとはおもえないし美しくもない。逆に山の上まで道がないところは海岸線が砂浜や岩場だったりとおもしろそうだ。
 実際に住んでいない部外者の感想ではあるが、さてどちらが100年後の未来に引き継ぎうるものかなどと話が弾んだ。
 優れもの村長は未来に禍根を残し、ぐうたら村長は未来に賞賛されるかもしれない。

←これが阿伏兎観音である
 来島海峡を抜けて尾道、ちょっと新しくできたばかりのヨットハーバーに寄り、すぐに出港。 阿伏兎観音の前を通って仙酔島の対岸にある漁港、15:00に福山到着した。
 ほっとしたと言うのが偽らざる感想である。決して他人には勧められないが、私はもう一度乗ってみたいし、実は知り合いの会社の実験資材としてスプール級を買う算段をしている。
 石川さんに福山駅まで送ってもらい岸本君とさよならをした。
 16:58新幹線にのり、あっというまに寝てしまい、おきたら横浜の近くであった。21:10 東京着、高崎に22時ごろ帰り着く、雨であった。高崎においてあった自動車に乗って不思議なことに気がつく。信号4つほど向こうを見る癖がついているし、スピード感に馴れないのだ。
 どうも10kmも向こうばかりを見ていて、目が良くなりすぎたのかな。それに自転車の速度で4日もすごしていたのが効いているのだと納得しながら家に到着。
 家のものには危険な話はあまりしていない。特にばあちゃんにこういうことを話すと次の冒険に差し支えるのである。

これで、今回の話はおしまいです。

注:私はまったくの素人のため、ヨットや船舶関係の名称はいいかげんです。

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